2016年10月28日(金)
アクビ、である。ポイントは二つ。
① 誰もが知るとおり、アクビは伝染(うつ)る。
② 人間だけでなく、動物もアクビする。
②はとりわけ不思議でもないようだが、知りたいのは動物のアクビも同種の動物間で、あるいは異種の動物間で伝染るかどうかという点だ。
①に戻って言えば、アクビがなぜ、いかなるメカニズムで伝染るのかについて、未だに説得力のある説明を読んだ/聞いた覚えがない。ただ、「なぜ/いかに」をとりあえず棚上げしてアクビが伝染るという事実から出発した場合、僕にはこれが「多くの生理現象はそもそも個体間で伝染しやすい性質をもっている」という一般則の証拠であるように思われる。「生理現象」というのが曖昧に過ぎるとすれば、「自律神経系の支配下にある現象」と言ってもよい。アクビの厳密は「なぜ/いかに」がさしあたり不明だとしても、そのメカニズムに自律神経系が介在している(あるいはそのメカニズムを自律神経系が担当している)ことは疑いようもないからである。
ここにひとつの不思議がある。自律神経系のシステムは交感神経系と副交感神経系が拮抗する仕組みになっている、これも周知。これらを英語で何と呼ぶかとみれば、sympathetic/parasympathetic nervous system なのね。これは「共感/副共感神経系」と訳したって良かったような言葉だ。もっとも今なら「empathy が共感、sympathy は同情でしょ」と横やりが入りそうだけれど。
そこでまた(大きな)疑問、英語の(あるいはその背後にある別の欧語の)命名者は、なぜこのようなネーミングをしたのか?「自律神経系の司る現象は、個体を超えた強い伝染性をもっている」という認識があったからではないか?この点を裏づける文献証拠がないか、もう20年も前から気になっているのだけれど見つけられずにいる。誰か御存じであれば是非とも教えてほしい。
もうひとつの(小さな)疑問、これらをおそらくは明治期に「交感/副交感神経系」と訳したのは誰なんだろう、そこにどんな苦労があっただろうか。けっこう知恵を搾ったに違いないのだ。
この一連のこだわりの理由は単純なもので、人と人との気もちが「伝わる」ということには身体的な基礎があり、そもそも情動は伝わるようにできている(設計されている)に違いないと確信するのだ。スポーツ観戦などはそれを最大限に生かして楽しむお約束だが、伝わるのが自律神経系にレベルでがっちり仕込まれた本性であるだけに、その伝染性を節度をもって制限するのが大脳連合野の役割(=マナー)であるということになる。どんなスポーツであれ、観衆のほぼ全てが一方に肩入れし、会場全体が一色に染まるというのは基本的なマナー違反、反文化的なことだと思いますよ。
不安も安心も伝染性のものである。アッシジのフランチェスコの顰にならって、「不安のあるところに安心を生み出すものに祝福あれ」と言っておこう。
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トリビアのトリビア①: "Gather, Darkness!"
Fritz Leiber (1910-92)というアメリカのSF作家に、"Gather, Darkness!" という有名な作品がある。『闇よ、集え』というピッタリのタイトルで邦訳されたのを昔読んだ記憶があるが、確かこの作品の中に群衆の心理を交感/副交感神経系を介して操作するという設定があった。違う作品と混同していないか確認したいのだが、「闇よ、集え」で検索すると日本人作家のハロウィンコミックが出てきて、ライバー氏の方は見つからない。家のどこかから探し出すほかなさそうだ。
http://www.goodreads.com/book/show/561311.Gather_Darkness_
トリビアのトリビア②: アクビはなぜアクビと言うのか?
・・・正確な語源は未詳だが、『枕草子』にもある動詞「欠ぶ(あくぶ)」の名詞形が有力。 「欠ぶ」の語源は未詳で、「開く(あく)」と同系とも考えられている。 「欠」の漢字は口を開けてする動きを表す文字で、「欠伸」はあくびをして背伸びをすることを意味していた。
その他、「飽く」と関連づけた説も多く、「飽くぶ(あくぶ)」の名詞形、「飽吹(あくぶき)」の約、「飽息(あくいき)」の約などがある。「おくび(げっぷ)」と共通語源に由来することも示唆されている・・・
(「語源由来辞典」より http://gogen-allguide.com/a/akubi.html)
Ω
いつも楽しく拝読しております。
私も兼ねてから、欠伸に興味があります。
ヨガの先生は、「はい、欠伸を誘発しましょう」と言われることがありますが、身体を緩め癒し効果を狙ったものだそうです。欠伸は、不随意運動かと思いきや、口を開けて欠伸をしようと思うと欠伸ができるのも不思議な点です。
また、私自身がセラピーを受けた後に、緊張感から開放されて安心感を感じた時にも欠伸が出ることもあります。
こうした経験から、眠い時や酸素不足、伝染する以外に、緊張している時に欠伸が出たり、誘発して起こす場合は、緊張を緩める働きもあるのではないかと思います。
以下、ネットで調べていて見つけた記事です。
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脳研究のパイオニアであった時実利彦先生は、授業中にあくびする学生について次のように述べている。
「あくびをする学生は決して非難されるべきではなく、脳を懸命に覚醒化しようとしているわけで、むしろその努力を賞賛すべきである」と。
成人は平均して1日に7~8回あくびをするといわれる。生理的なあくびは昼夜の境目で最も起こりやすく。
起床後2時間以内に生じるあくびが全体の15%、就寝前2時間以内が23%を占める。
したがって、あくびの約40%は覚醒と睡眠の狭間に発生していることになる。
日中のあくびは、能動的な行動よりも受動的な行動の最中に起こりやすい。
学生を対象にしたアンケート調査によれば、あくびは授業中にみられることがきわめて多く、次いで読書やテレビを見ているときに多い。
一方で、運転中にも見られる現象である。
これらのあくびは、眠気、疲労、退屈、空腹、満腹の感覚に随伴して生じるようである。
動物実験では、あくびの最も重要な意義は覚醒であると考えられている。
学生が脳を覚醒化しようとして故意にあくびを発しているかどうかは疑問であるが、世の中には脳を覚醒すべく故意にあくびを行う人々がいる。
将棋の升田名人しかり、歌人の高浜虚子しかりである。
升田名人は大事な一手を指す前にあくびをすることで有名であった。
高浜虚子は一句を詠む前にあくびをしたといわれる。
これら著名人の例をみれば、授業中に生徒があくびをするのもあながち悲観するものではないのかもしれない。(以上、医事新報より抜粋)