2015年7月18日(土)
どこの家庭にも固有の記念日がある。わが家にもある。たくさんある。
中で最も痛みを伴うのが、今日のこの日である。毎年書いている。
伯父・西原利光(にしはら・としてる)がサイパン島で戦没したとされる日である。
「7月とは終戦の直前ではないですか、お気の毒に」と言われたことがあるが、それは違うんですよ。そして、この違いには日本史的な意味がある。考えれば分かることだ。
陥落したサイパン島を、米軍は直ちに一大空軍基地に変えた。ヨーロッパ戦線でドイツ諸都市を灰にすることになる「空の要塞」B17爆撃機、その進化版であるB29はより長い航続距離をもち、それがサイパンに配備されることによって日本列島全体がすっぽり「日帰り空襲」圏内に入った。この時、事実上戦争は終わったが、本格的な殺戮はその後に来る。
次の冬から春にかけ、東京・大阪・名古屋をはじめとする日本の都市のほぼ全てが、サイパンから往復するB29によって徹底的に破壊される。広島・長崎に原爆を投下したB29は、サイパンの南隣に位置するテニアン島から飛び立った。だから1944年7月18日が伯父の命日である。1945年ではない。1945年のこの時期、サイパン島に日本軍など存在しなかった。
50代も後半に入って彼を「伯父」と呼ぶことの不思議を思う。農家の跡取りであり、自身は教員を志望する23歳の若者だった。長男は既に彼の享年を超えた。
わが家の歴史の続く限り、伯父のことを語り伝えるつもりである。こんな形で命を奪われる者は、彼ひとりでたくさんだ。
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書くからには例年通り、これも書いておこう。7月18日は大賀ハスの開花日である。僕にとっては、この一致が恵みと感じられる。(⇒ 7月18日 ~ ハスとサイパン再び)