2021年5月16日(日)
バベルの塔の物語(創世記11章)の発端が何であるか、理解していなかった。人間が一つの言葉によって統一され、天に至る力をもつことへの創造神の不安であるなら、被造物の側にも言い分がある。
「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして全地に散らされることのないようにしよう。」(11:4)
この言葉は一見、分散して弱くなることに対する自然な防衛のように思われるが、そうではないというのが今朝の要点である。それは創造にあたって
「地に満ちて地をを従わせよ」(1:28)
と送り出されたことに対する違背であり、抗命であった。
「従わせよ」とは「恣(ほしいまま)に搾取せよ」の意ではない、「神意にふさわしく管理せよ」との謂である。これを実行するためには、必然的に全地の隅々にまで散っていかねばならない。シンアルに集った人間たちはこれを嫌った。
塔を建て、そこにこもって既得の力と富に安住することは、地上の管理者としての責務を放棄し、共同体を小さく限って排他的な安逸を貪ることを意味する。そうした集団エゴイズムを阻止すべく、主は介入して言葉を乱された。
「こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれる。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼等を全地に散らされたからである。」(11:9)
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