散日拾遺

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小森さんはシャオソンさん

2017-12-11 17:20:00 | 日記

2017年10月27日(金)に戻って

 夏の終わり頃、いつもは乗らない路線で遠出の途次、若いアメリカ人旅行者の一団を見かけた。男性一人に女性二人、口角泡を飛ばして夢中で議論してるのが、どうやら「日本人と中国人をどう見分けるか」についてらしい。

 丸顔、目が大きい、背が高い等々、切れ切れに耳に飛び込んでくるのは、どっちのことを言ってるんだか。顔かたちで弁別しようたって、君たちそら無理というものでしょう。

  「んじゃ僕はどっちに見える?」と喉まで出かかったのを自重、その朝は少々エネルギーを溜めておきたい事情があった。

 ただ、この風景には懐かしいものがある。というのも20代半ばでマレーシアを旅行した時、僕はしょっちゅう中国人に間違えられ、ついぞ日本人と思われたことがなかった。しまいには土産物店の店主に「どこから来たように見える?」と、こちらから聞いてみたりした。そんな態度がそもそも「らしくな」いわけで「香港?台湾?」などと言われるのが相場、そのうち自分でも先祖は中国南部から来たかなどと妄想するようになった。

 1980年代初めの当時、まだ日本人旅行者はカメラをぶら下げて集団で行動し、仲間うちの日本語会話に引きこもる印象が強かったから、旅先で中国人と間違えられるのはむしろ誇らしかったのを思い出す。

 で、この秋。

 放送大学の「中国語Ⅰ」第一回を見て面白かったのが、日本人女性の小森さんをスキットで演ずる女性が徹頭徹尾非日本人的、完璧な中国語の発音を聞くまでもなく、この人ゼッタイ中国人と確信されることであった。これは何でだろう?「そら、無理」なことをやってる理屈ではないか。

 無理でも何でも違うと思うところを言語化すれば、骨太でがっしりした体つきはもちろん個人差として、背を伸ばして胸を張った姿勢が大きな一因のようである。授業が始まってみて、これがどうも中国語の発音と関係しているように思われた。中国語の発音というと四声のイントネーションの難しさをすぐ連想するが、それより難しく感じられるのは舌の使い方と呼気のコントロールである。強く激しく息を吐くことを知ったうえで、これを随意に和らげたり抑制したりする。まずは腹からしっかり息を吐くことが、いつでもどこでも出来ねばならず、自ずと背を伸ばし胸を張らざるを得ない。

 語学の講座に発音のお手本を示すために呼ばれている立場なら、とりわけその部分に力が入るのも自然なこと。そうでなくとも行住坐臥、言葉を発するたびにこの動作を繰り返していれば、基本姿勢もそれに応じて決まってくる理屈である。言語文化が人の生理的条件を逆に規定するということがある、その好個の一例と思われる。マレーシアでの経験も姿勢が一因だったならこれまた自慢だが、たぶんそうではないだろうな。

 ちなみに小森さんはスキットでシャオソンと呼ばれ、コモリではないのが面白い。こっちも「ペキン」の「シュウキンペイ」と言ってるんだからおあいこか。漢字というスーパーツールを共有しているからこういうことが起き、そもそも共有する素材のない疎遠な相手なら、小森はコモリ北京はペイチンで揺らぎがない。韓国・朝鮮は意図してその距離に遠ざかることを選んだもので、そのことの良さもあれば不便もあるわけだ。

Ω

 


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