散日拾遺

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万葉秀歌 003 ー あきのぬの・みくさかりふき(1・7 額田王)

2019-04-09 10:38:54 | 日記

2019年4月9日(火)

 秋の野の み草刈葺き 宿れりし 兎道(うじ)の宮処(みやこ)の 仮廬(かりいお)し思ほゆ[1・7]

 兎道は宇治、大和と近江の交通路にあたり、行幸の際の仮の旅宿(仮廬)が設けられることも多かったろうとの考証。

 聖書の読者は、直ちに仮庵(かりいお)の祭りを連想することだろう。旧約世界においては過越祭、七週の祭りと並ぶ三大祭の一つで、ユダヤの民が出エジプトの際に荒野で天幕に住んだことを記念するものである。秋の収穫感謝の意味をももつという。
 過越祭のさなかに十字架と復活のことがあり、その50日後に聖霊が降ったことから、過越祭はイースターに、七週の祭りはペンテコステにそれぞれ引き継がれたが、仮庵の祭りは直接の後継をもたない。キリスト教の三大祭の今ひとつは無論クリスマスで、これは冬至(= 太陽暦の新年)の祝いの意味を負っている。

 「嘗て行幸のお伴をしたとき、宇治で秋の野のみ草(薄・萱)を刈って葺いた行宮に宿ったときの、趣深い様が思い出されます」との大意。
 「単純素朴のうちに浮かんでくる写象は鮮明、かつ声調は清潔。単純な独詠歌でないと感ぜしめるその情味が、古調の奥から伝わってくるのをおぼえる。」(茂吉)

 そう言われるとそんな気がしてくる・・・かな?

Ω

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