昨日は奈良の信貴山へ初詣に行った。もともとは聖徳太子ゆかりの由緒正しい山寺(朝護孫寺)だけど、周囲一帯は現在、現世ご利益のテーマパークみたいになっていて、「ここを歩けば四国88ケ所巡りするのと同じ功徳があります」といわれる小道とか、20メートルくらいある巨大な地蔵菩薩とか、樹齢1500年の巨木とか、「これを回すと仏教のすべての経典を読破したのと同じ功徳があります」という木壇が収まるお堂とか、笛を吹きながら馬にまたがる聖徳太子像とか・・・・・、縄文系弥生系インド系中国系、もうありとあらゆる神々や仏様がこれでもかというほどあちらこちらギンギラに鎮座していて、それぞれが商売繁盛やら家内安全やらの現世ご利益的守護パワーを高らかに謳っている。特に印象深いなと思ったのは「金集弁財天」さんと「融通さん」(金を融通してくれる神様)、それから「一億円」と書かれた板をくわえた虎の石像などだ。
信条・テーマが非常に、分かりやすい。
ごちゃごちゃしまくってて、なんかもう無茶苦茶なんだけど、不思議に下卑た感じがしない。あまりにも分かり易すぎてあっぱれだ、すがすがしいという意味もあるけれど、それ以上に、山そのものに高貴な品格があるようにすら感じられる。その自然のスピリットが、聖も俗もあわせ呑んで、神も仏も人間もすべて包み込んでいるといったニュアンス(これがもし山ではなく街中にあるとすればもうとてつもなくいやらしく下卑た最低の場所になっているだろう)。
自然の持つ懐深さ、バランス感覚という意味で日本的な混交性、重層性、現実肯定観が出た面白い場所だなと思うんだけど、まじめなクリスチャンとかイスラム教徒が見たら、もう卒倒するだろうなと思われる。
信貴山、なかなかファンキーな聖地だ。付け加えておくと、ここから見渡す奈良盆地の夜景は、聖も俗も関係なく、すばらしい。