※インド編(南アジア、アラビア半島カヤックトリップ)記事の続き。
上のグーグルアース図をクリックして拡大してもらいまして、左が今回旅した南インド地方、一方右の方の「アンダマン海」と書かれた文字の左に縦列でポツポツ並んでいる島々の総称が、「アンダマン・ニコバル諸島」となります。ここもインド領土です。「その、あんさんが旅したアンダマン・ニコバル諸島ってどこやねん?」といろんな人に必ず聞かれますし、みなさんもそう思っていると思いますが、そいつがここです。
スマトラ島沖地震の際には甚大な津波の被害があった所ですが、非常に海の美しいエリアです。
まあ、今後このブログに結構でてきますのでよろしければ覚えといてくださいね。
まず今回の旅では最初にインド南部を訪れました。
まあインドは昔から一度は行っておかなきゃいかん場所だなと思ってましたけれど、非常にへヴィーな旅になりそうなのでずっと二の足を踏んでいました。いろんなインド放浪本なども世には出てますしそれらも何冊か読んだことがありますけれど、ぼく的にはあんまりタイプじゃないなあという感想でした。それが今回なんで行こうと思い立ったのかと言いますと、やはりカヤックフィールドとしてのインドはどんなところなのか・・・、どんな風が吹いていてどんな波が立ちどんな海岸線をしていてそこに実際身を置くとどんな感覚が立ちあがってくるのかってのを「アジア圏のインド亜大陸」という観点から捉えてみたかったというシーカヤッカー目線はもちろんありますがそれと同時に、これから高度成長期を迎えようとするインドという国は一体どんなところでどのように変化しようとしてるのだろうか、また日本人であるぼくらのライフにどんな影響があるのだろうか、もしかしたら何かおもろいことに繋がりそうなヒントとかもあるんじゃなかろうか、なんてことを数年前からウスウス気にし始めていて、じゃあちょうどこのトリップの機会に見て来ようと思ったわけです。またこういうことは業務のオフシーズンにしかできない、しかしアイランドストリーム・エッセンスに欠かすことのできない大切なことで、いろんな人が思ってらっしゃるほど能天気なバカンスなんかではないわけです。
今回まず、ちょうど年末に毎年やってる南インド・チェンナイの古典音楽祭を目がけていったわけですが、ふと考えるとここ数年自分自身、結構インド系音楽をよく聴いている傾向にあります(正確に言うと世界各地に散ったインド系移民の音楽)。タブラ奏者のタルヴィン・シン(Talvin singh)とかカーシュ・カーレイ(karsh kale)とかのエレクトリック音楽は古典的な要素も大切にしつつ未来的、宇宙的な感じがしてクールですし、「バングラ」というジャンルのお祭り音楽はなかなかダサカッコよくてキュート、そしてエイジアン・ダブ・ファウンデーション(asian dub foundation)なんかの反骨ミュージックは昔のロックやレゲエが持っていたようないい意味での反逆的パワーがみなぎっているように感じます。21世紀に入って欧米のロックもジャズもヒップホップも急速に面白くなくなってきたように感じて他に触手を伸ばし始めましたが、インド系エレクトロニック音楽やフランスとかにいるアフリカ系移民の音楽のほうが断然面白いというか、昔のロックやジャズが持ってたマジカルなDNAが9.11米同時多発テロ以降こっちの方に移行してきているんだなあという今日この頃です。で、そういう流れはなにか、整然とした欧米中心主義的世界観より混沌としていてかつ豊穣で、また同じアジアンである日本人にとってもすごくおもろい流れであるんじゃないかなあと思うわけです。
まあ、アクの強いインド本国モノよりも印僑の人たちが形成するグローバルの風にさらされたカルチャーなんかのほうがなじみやすかったりするんですが、そのベースとなっているのは古典的なものなわけでその意味において結構アクの強い南インド古典音楽(カルナーティック)のコンサートはいろいろ面白かったですね。インド音楽は北インド、南インド両方ともヒンドゥー教の世界観と密接に関係していまして、またドレミに値する「サリガマパダニサ」という音階、音符ごとにそれぞれが色彩とか心的エモーションと呼応する関係にあるとされています。ひとつの曲調というか音楽的ムードを「ラーガ」と呼びますが、そのフィーリングに沿って「夕暮れのラーガ」とか「梅雨のラーガ」と無数のヴァリエーションがあるようです。「シーカヤックで夜光虫の海を漕ぐラーガ」とかそんなのもありえます。まあそのへんの楽理的なところはインド古典音楽初心者であるぼくなんかには深すぎて難しすぎるところですが、そういう深さがぼくの普段聴くインド系テクノ音楽とかの面白みを生む豊かな源泉になっているんだなあと思います。
それにしても11億の人口をかかえるインドは中国とともに世界をリードしていくだろうといわれる大国です。
インドは中国に比べてさらに人件費も安いし対日感情も悪くないからこれからはインドだ、などと書かれた経済雑誌の記事なんかをよく見かけますがまあそういう観点ではなく単純にインド系の音楽とか面白いと思うし、あとヨーガとかリグ・ヴェーダ哲学とかブッダの教えとかアーユルヴェーダとかカーマ・スートラ(!?)とか色々、心と体のディープテクノロジーみたいなものにはすごく興味を引かれます。
経済の面で言うと中国はどちらかというと製造業主体で、一方のインドはIT、最先端医療、製薬、映画などなど第三次産業(広義のサービス業)が世界を席巻しているという現象があります(実際は製造業もこれからかなり上がってくるだろうといわれていますが)。
で、そういうのが面白いと思うわけです。
ぼくの携わっているジャンルも同じく第三次産業だし、モノが売れなくなってきた先進国でもこれからこちらのほうにフロンティアがあるわけです。特に組織に属さず自前で生きていこうと考える者にとってサービス業は非常に適したフロンティアなわけです。日本では特に中高年層に頑迷な既得権益が集中していてそれらが閉塞感と圧迫感を生みだしその結果若者には絶望的なほど希望のない時代だという感触がありますが、そんなのを個人の立場からブチ破っていくにはやはりこのフロンティアが土俵になるわけです。で実際、個人の立場でしかなかなかぶち破れないのです。
そういうこともあり、なんか混沌としていてしかし独創的なものも次々生み出すインドカルチャーというか、その脳みそに、語弊があるかもしれませんがロマンティシズムのようなものを感じたりもするわけです(ホットメールを開発したのはインド人だし、そもそもウェブそのものがインド哲学的)。
まあ実際のインドはやたらめったら不潔だし、人は多すぎるし人間の命の値段は死ぬほど安い、交通ルールが皆無でバイク、車、自転車、牛、馬、山羊、犬などが自分のことのみ考えて突き進みながら1日中クラクションが鳴りまくってるし、ゴミはそこらにポイポイ捨て公共マナーがまるでない、おまけに糞小便は所構わず垂れまくり、警官や役人はとんでもなく偉そうにしている、、わやくちゃの国でした。イメージはしていましたが実際体感するとすさまじかったです。
1億2000人の日本人がエコと言っても空しくなってくるほど11億人が空や地や海を汚しまくっちゃっています。またご存じカースト制度も残っていて人間の質はピンからキリまで混在している。都会の人ゴミのグジャグジャーっとしたところなんかはある意味地獄的な感じがしないでもないけれどしかしそれゆえたとえばブッダの教えのようなすごい哲学も出てくるんだろうなと思わせられました。
これもピンからキリまでの部分。
ブッダの有名なフレーズに、
「寒さと暑さと飢えと乾きと、
風と太陽の熱とアブとヘビと、
これらすべてに打ち勝って、
サイの角のようにただ一人歩め」
というのがありますが、
それはインドにいると意味がよくわかりますね。
「この世は残酷であり、だからこそ周囲に流されず自分自身の道を見つけて生きていけ」ってことだけど
それはインドだろうとどこだろうと一緒。
ちなみに同じような歌をベン・ハーパーも歌っていますね。
「welcome to the cruel world,hope you find your way」
特に日本ではちょっと人と違うことを言ったりしたりするとすぐに「あいつ変わっている」というレッテルを張られますが、そんなアブやヘビのような他人の目などに打ち勝って一人強く歩んでいかなきゃ何事も成就できるわけがない。
同じような内容をベン・ハーパーも歌っている。
「If you don't like my fire, don't come around cause I'm gonna burn one down,I'm gonna burn one down~(オレの炎が嫌いならオレに近寄らないほうがいいぜ。オレは一本焼き尽くす、そうさ一本焼き尽くすんだから)
勇気づけられる言葉です。