

先日、吉野の金峯山寺(きんぶせんじ)へ行きました。
ここを開いた役行者(えんのぎょうじゃ)という人に、
ぼくは非常に興味と尊敬の念を持っており、
数年に一度、思い出したように訪問するのです。
修験道を開いた役行者と真言密教を開いた空海とは、
「自然感覚を重んじる日本の伝統」という意味において、
かなり共通した部分がありますが、
役行者はよりワイルドな趣の強い人です。
この金峯山寺のお寺の風格もすごく野性感があります。
上の写真は役行者さんが瞑想し感得したといわれる、
「金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)」というもので、
この非常にイカツい存在の底に流れる異様な生命エネルギーみたいなものが、
ビンビン伝わってきます。
この、怒っているけれどあっけらかんとしていて、
ジメジメ感が微塵にもなく、
むしろ爽やかなるあっぱれ感に溢れている姿。
奈良の古道などを歩いているとよく、
「開祖・役行者、中興の祖・空海」という古い寺院などに出くわし、
非常に興味深いのですが、平安時代の空海に対し、
より古い飛鳥時代の役行者さんをさらに遡ってゆくと、
「縄文文化」とか、そういうルーツにまで想像が膨らみます。
そういえば、役行者の蔵王権現と、
火炎式縄文土器(写真下)のエネルギー感は、
非常に共通するものを感じずにはいられないですね。
役行者はとんでもないアウトローだったと言われていますが、
それは誤解を受け国家に弾圧され、島流しにされてまでも己の信念を貫き通した人、
ってことなわけで、日本人の心の琴線にキューンと触れるところがあります。
実際、役行者のファンって、今も昔も多いですね。
そして彼の開いた修験道というものは、
山を駆け歩き、自然の中で五感を研ぎ澄ませることによって、
第六感である「直感力」を磨くというところにその本質がありますが、
それって、方法論やストイック度は違えど、
トレッキングやカヤッキング、サーフィンなどアウトドアアクティヴィティの
目指すところと非常に共通性があると感じます。
カヤックとかトレッキング、
レジャーとしても面白いけれど、
ただのレジャーじゃないんですよね。
そして今の時代、別に宗教である必要はない。
役行者や空海というようなルーツが存在することによって、
日本のアウトドアはより深いアーティスティックなものになりえる
可能性を有していると思います。
たとえばカヤッキングで五感を研ぎ澄ませる中で覚える「直感力」とは、
音楽や文学などのアート作品の奥底に流れるエッセンスと繋がっていると思いますし、
ひいてはそういうところを追求することによって、
経験を深化し、内的世界を押し広げ、自分を高めてゆくことこそが、
本当の豊かさだと考えますが、
そんなことを当然のこととして意識化するのも、
突き詰めていけば役行者や空海のおかげだと思っています。
2012年、そういうところももっともっと大事していきたいと思います。
偉大なる先達、とてもお慕い申しあげております。