プリミティヴクール

シーカヤック海洋冒険家で、アイランドストリーム代表である、平田 毅(ひらた つよし)のブログ。海、自然、旅の話満載。

吉野・金峯山寺

2011-12-31 20:37:33 | インポート
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 先日、吉野の金峯山寺(きんぶせんじ)へ行きました。
 ここを開いた役行者(えんのぎょうじゃ)という人に、
 ぼくは非常に興味と尊敬の念を持っており、
 数年に一度、思い出したように訪問するのです。

 修験道を開いた役行者と真言密教を開いた空海とは、
 「自然感覚を重んじる日本の伝統」という意味において、
 かなり共通した部分がありますが、
 役行者はよりワイルドな趣の強い人です。
 この金峯山寺のお寺の風格もすごく野性感があります。

 上の写真は役行者さんが瞑想し感得したといわれる、
 「金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)」というもので、
 この非常にイカツい存在の底に流れる異様な生命エネルギーみたいなものが、
 ビンビン伝わってきます。

 この、怒っているけれどあっけらかんとしていて、
 ジメジメ感が微塵にもなく、
 むしろ爽やかなるあっぱれ感に溢れている姿。

 奈良の古道などを歩いているとよく、
 「開祖・役行者、中興の祖・空海」という古い寺院などに出くわし、
 非常に興味深いのですが、平安時代の空海に対し、
 より古い飛鳥時代の役行者さんをさらに遡ってゆくと、
 「縄文文化」とか、そういうルーツにまで想像が膨らみます。
 そういえば、役行者の蔵王権現と、
 火炎式縄文土器(写真下)のエネルギー感は、
 非常に共通するものを感じずにはいられないですね。

 役行者はとんでもないアウトローだったと言われていますが、
 それは誤解を受け国家に弾圧され、島流しにされてまでも己の信念を貫き通した人、
 ってことなわけで、日本人の心の琴線にキューンと触れるところがあります。
 実際、役行者のファンって、今も昔も多いですね。

 そして彼の開いた修験道というものは、
 山を駆け歩き、自然の中で五感を研ぎ澄ませることによって、
 第六感である「直感力」を磨くというところにその本質がありますが、
 それって、方法論やストイック度は違えど、
 トレッキングやカヤッキング、サーフィンなどアウトドアアクティヴィティの
 目指すところと非常に共通性があると感じます。

 カヤックとかトレッキング、
 レジャーとしても面白いけれど、
 ただのレジャーじゃないんですよね。
 そして今の時代、別に宗教である必要はない。

 役行者や空海というようなルーツが存在することによって、
 日本のアウトドアはより深いアーティスティックなものになりえる
 可能性を有していると思います。
 たとえばカヤッキングで五感を研ぎ澄ませる中で覚える「直感力」とは、
 音楽や文学などのアート作品の奥底に流れるエッセンスと繋がっていると思いますし、
 ひいてはそういうところを追求することによって、
 経験を深化し、内的世界を押し広げ、自分を高めてゆくことこそが、
 本当の豊かさだと考えますが、
 そんなことを当然のこととして意識化するのも、
 突き詰めていけば役行者や空海のおかげだと思っています。

 2012年、そういうところももっともっと大事していきたいと思います。 
 偉大なる先達、とてもお慕い申しあげております。 


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高野山町石道トレッキング

2011-12-31 18:31:55 | インポート
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 先日、高野山町石道をトレッキングしました。
 ふもとの九度山町から高野山上の金剛峯寺まで、
 20数キロのロングコース。
 自分の中で数年に一度の恒例の行事のようになっていて、
 今回で4回目くらいでしょうか。

 1町(約109メートル)ごとに町石(ちょういし)と呼ばれる、
 高さ3メートルほどの石柱が建てられていまして、
 それを道標として歩き続けると山上までたどり着くという巡礼道です。
 大昔は人々がひとつひとつの町石に手を合わせながら歩いたそうで、
 現在では「紀伊山地の霊場と参詣道」のひとつとして、
 世界遺産になっています。

 このちょっとしんどい距離を歩く中で、
 山が深まるにつれ研ぎ澄まされてゆくスピリチュアルな空気感がいいのですが、
 ゴールである山上の開けた寺院や町に着いた途端、
 急に俗っぽい場所に出てきちゃたなと感じられてしまうのも、
 切ないというか興味深いというか複雑というか皮肉というか、
 不思議なことだなと毎回思わせられます。

 多分山の聖なる静けさの中から急に車とかがガーっと走る、
 やかましい場所に出てくるからだと思いますが、
 チューニングが突然ずれる感じで、
 ちょっとした違和感があります。
 
 もちろん高野山の真言密教の深みというのは、
 町とか寺院の建築にではなく、
 お寺の奥にあるのだろう。
 そして山のスピリチュアルな空気の中にあるのだろう。
 
 いろんなことを考えさせられる面白いルートです。


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