※タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップの続き記事。当カテゴリの下から順に読んでいくと話の流れが分かりやすいです。
ザンジバル島に着いて数日間、ストーンタウンに滞在した後、島の南東部にある「パジェ」というところまで行き、そこで3、4日間カヤックを漕ぎまくりました。カヤッカーとして、地形的にはそれほどソソル場所というわけでもないんですが、すごく居心地がよくて気に入りました。
だけど、胸がキューンとしてたまらなくなってしまう地でもありました。
何と言っても、ここは風の通り方が非常に特徴的な場所だからです。
世界の七つの海のひとつ、
インド洋の遥か彼方から吹き渡ってくる風。
北東貿易風がダイレクトに吹き付け、
そしてアフリカ大陸に吹き抜けてゆく地。
冒険するというより、探索するというより、
漕ぐというより、ただただ海上にカヤックで揺られ、
東アフリカの風を感じるという数日間を送りました。
・・・と書きますと、ふーん、それがどうしたって感じかもしれませんが、この「土地特有の風をじっくり感じる」ということは、ぼくはカヤッキングの神髄のひとつだと思っているんですよね。
そしてこの北東貿易風こそが、東アフリカの文化を、
あるいは人々の命運をも司ってきた母体のような存在でもあるのです。
11月から4月くらいまで北東風が吹き、
その後北東貿易風が弱まると今度は逆風つまり南西のモンスーン風が吹く。
この土地独特の風を利用して、古来よりインドやアラビア半島の商人たちが帆船を駆使し、東アフリカまでやってきました。そして頃合いを見て、再び逆風を利用して帰っていきました。そんな彼らが交流して生み出されたのが東アフリカ文化であり、ヒンドゥー語、アラビア語、アフリカ諸語がミックスされお互いがコミュニケートしやすいように編み出されたのがスワヒリ語であります。
逆に、もしこれが違う風だったら・・・、例えば北西から吹く風が卓越風だったとしたら、上記の文化や言語は生み出されていないことは間違いありません。ということは東アフリカは土着のアフリカ人だけの土地だったかもしれませんね。それは幸か不幸だったかは分かりませんが、奴隷貿易という悲劇は生みだされることはなかったかもしれません。
つまりこの風によって、ザンジバルは東アフリカとヨーロッパ、アラブ、インド、中国を結ぶ中継地点として大いに栄える事となったわけですが、このように、人類の文明文化って結構、風によって形作られている部分が多大にあるんですよね。特に船が移動の主役だった時代の文化ではね。
まさしく、海洋文化ですね。
風の中に、人々の歴史、喜びや悲しみ、
泣き笑い、喜怒哀楽が内包されていると想像することもできます。
まあ、ぼくら現代人は昔と違ってあまり風を意識した生活を送らなくなっているわけですが、その点カヤックに乗ると風に対する意識が物凄く鋭敏に高まります。
なんせ、風によって波が立つわけで、
その風や波にもっとも敏感な乗り物がカヤックなわけですからね。
急に話をじぶんの方に持ってきて恐縮ですが、思えばぼくのカヤック人生も風との付き合いによって成り立ってきたと言えましょう。実際、あんな木の葉のような小さな舟に乗っていると、風の強弱もさることながら、風の吹き付ける微妙な角度や地形によっても命運は大きく左右されます。ほんのちょっと、5度くらいの角度の違いでも下手したら沖に流されるヤバい出し風になるとか、風と潮流の向きがたまたま逆だったから危ない三角波が形成されるとか・・・、日本一周単独航海から始まって、毎日のアイランドストリームのシーカヤックツアーでもそうだし、海外でのカヤックトリップ時でもそう。気がつけば風に運命を左右される生活を送っているわけで、そう考えるとぼくもまた風によって喜びや悲しみ、泣き笑い、喜怒哀楽が形作られてきた人間なのです。
ということからか、いつのまにか風に対しては人一倍
「多感症」になってしまっているようです。
そういうぼくでありますから、
ただただ東アフリカの風を感じるだけで、
虹色のようなイマジネーションが発動し、
もう胸がいっぱいになってしまったのでした。
ふと、吹きつける風の中にたくさんの人々の鼓動を感じ、
吹き抜けてゆく風の中に新たなる来るべきカルチャーの息吹を感じたりした、
ザンジバル島パジェでの数日間。
いわゆるひとつの「プラネット感覚」の日々。
そしてこの後、いよいよ旅のメインであるペンバ島に向かいました。