※タンザニア・ザンジバル島カヤックトリップの続き記事。当カテゴリの下から順に読んでいくと話の流れが分かりやすいです。
旅の記事、ダーッとアップしますと言っておきながら、遅れてごめんなさい。ツアーベース基地の改造やなにやら超バタバタしていてちょっとブログどころじゃありませんでした。
えーっと、タンザニア・ザンジバル島南東部のパジェの話からですが、ここを訪れたのは東アフリカ文化を形成したインド洋からの風を、カヤックというよく調弦された楽器のように敏感な乗り物で、心の奥底からダイレクトに感じるためというのもそうですが、ここには「パラダイス・ビーチ・バンガロー」といって、三浦砂織さんという日本人女性が20年前にたった一人で切り開いた宿があり、興味深いのでちょっと色々とうかがってみたいからという理由もありました。
北海道出身の三浦さんは若い頃、和歌山でFMラジオのパーソナリティーをしていたこともあるそうで、タンザニアくんだりまで来ながらも湯浅とか和歌浦とか色々ローカルな地名が出てきて面白かったです。最初バックパッカーとしてアフリカを旅するしょっぱな、たまたまここザンジバルを訪れ、すごく気に入ったのでそのまま居着くことになったそうです。
最初はたった一人で始められた宿ですが、現在は現地人のスタッフ20数名がいる、なかなか立派な、居心地のよいビーチリゾートです。スタッフも親切で、料理もおいしい、何日でも滞在したくなる空間でした。
しかし、まず普通疑問に思うのは、なぜザンジバルだったのかというところです。日本から遥か遠く離れた縁もゆかりもない土地。それも20年前というとかなりマイナーな場所だったはずです。
「たまたま訪れたこのパジェの海から海岸線を見た時に、ヤシの木が揺れ、鳥たちが鳴き、潮騒に包まれながら潮風が頬を撫でる・・・、ここに立っているだけで、なにか、お帰りなさいって言われているような気がしたのよ」
色んな話を聞かせていただきましたが、このセリフが特に印象に残っています。同じような海岸線は世界にたくさんあるだろうと言ってしまうとそれまでですが、きっと三浦さんにしかわからない何か感じるものがあるのだろうと思います。その人独自にしか分からないものって誰だって持っていると思いますが、それをこだわって物事を切り開いていく意志を持った人は少ないものですよね。
「おかえりなさい」というフレーズが、ほんとに印象的です。
ビビビーンと来た、というより、
じっくり心の奥底に染み渡ってきた、って感じですかね。
と言っても、最初は別にずーっとこれをやり続けようと思っていたわけではなくて、またいつでも違う場所で違う事を始めたらいいわ、とでも思いながら気がつけば20年がたっていたそうです。気がつけば、と言ってもその間18回もマラリアにかかったり、意地悪な人に嫌がらせされたり、大変な目にも数々あってきたようで、やはりご自身の中で何か強く感じられるところのある土地なんだろうなと思いましたね。
しかし、アフリカってとんでもないところで、誰かが何か商売を始めると、よからぬ有象無象がよってきたり、銀行口座の数百万ドルがどこかに消えていたり、ここパジェでもドイツ人の宿の経営者が宿そのものを乗っ取られたり、と様々なえげつない話もあちこちでさんざ聞きました。だからこそ余計に、たった一人の日本人女性の立場で、着実にバンガローを発展させてきた三浦さんのバイタリティー、根気、パワー、すごいな、見習いたいなと感服した次第でした。
「やめよう、やめようと何度も思ったけれど
やり続けてきてほんとによかったと思うわ」
とおっしゃる際の笑顔が最高でした。
やっぱ、苦しい事もたくさんあるけど、
やり続けないとね、何でも。
三浦さんのバンガローで宿泊させていただき、フォールディングカヤックを組み立てていると三浦さんは興味津々かつすごく軽いノリで、「わたしもやりたーい」という話になり、ぼくのカヤックはあっという間に乗っ取られてしまいました。面白い。このノリが見知らぬ異国の地で切り開いてゆく原動力になっているのかなと思ったりしました。
カヤックの操作方法を教えるとすぐに三浦さんは海に出て行かれます。毎朝早朝から漕ぎ方やその他色々質問されるのでお答えしたりしていると、そのうちに他の宿泊客の方々もカヤックに興味を持ち始め、さしずめぼくはカヤックを教えにやってきたインストラクターみたいになってしましました。
で、それを見ていたある人物が、「ペンバ島に行くならばFundu ragoon resortという高級リゾートがあるから、そこで宿泊客にカヤックのガイドをしてみないか? 給料は出ないかもしれないけれど一泊500ドル以上する部屋に泊まって美味しい料理を食べさせてもらうこともできる。ちょっと話をしといてやるよ」と言って、携帯電話で誰かと話をし始めました。(そのリゾートのウェブサイトはこちら http://www.fundulagoon.com)
その人物とは、ニューヨーク出身のエマーソンさんといって、ストーンタウンで「Emarson spice」という高級ホテルを経営している人でした。ザンジバルの重鎮的存在であり、ぼくのこの旅の目的のひとつである「sauti za buzara」というアフリカ音楽のフェスの創始者の一人でもあるようでした。
ワオー。
その氏が数日前にストーンタウンのローカル市場でフレッシュジュースを飲んであたって肝炎にかかり、療養がてら三浦さんのバンガローでゆっくりされていたようです。彼が言うにはどうやら、ぼくが無料でみんなにカヤックを教えていることに感銘を受けているようでした。アフリカでは、そんなことはありえないだろう、と。
うーむ、ぼくとしては別になんてことでもなく、日本人の感覚からするなら逆に旅先でちょこっとカヤックの漕ぎ方を教えるくらいでお金をもらうなんてありえないわけで、大げさだなあと思っていましたが、すごく親切にしていただいているので、ありがたくお話を傾聴する事にしました。エマーソンさんの肝炎もだいぶ快方に向かっているらしく、ご気分もよいようでした。
ぼくは、どうしようかなあ、自由に歩き、漕ぎ巡る事によって日常の中で眠りこけているフリースピリットが芽生えてくるという旅に興じているところに義務が生じるのもなあ、という感じでしたが、せっかく言ってくれていることですし、アフリカの五本の指に入ると言われる高級リゾート、いったいどんなリゾートなのか見てみたい気もしました(カヤックガイドするって実は、海況とお客様双方に神経を使わなきゃならないので、かなり意識を高めないとできないんですね。ってことで甘いもんじゃねえんだぜ若者たちよ)。
結局、ペンバ島に行ってみてから決めることにしました。
これがフリー即興演奏的な旅のスタイル。