プリミティヴクール

シーカヤック海洋冒険家で、アイランドストリーム代表である、平田 毅(ひらた つよし)のブログ。海、自然、旅の話満載。

島に書いたラブレター

2015-10-02 12:34:30 | 湯浅湾ツアー

 白上山からのぞむ、いぶし銀の湯浅湾。
 海の真ん中にある無人島が、かるも島。
 
 先日のシーカヤック&奉納演奏ライヴの際に、
 みんなでかるも島に宛てたラブレターを書きました。

 鎌倉時代のアーティスティックな高僧・明恵(みょうえ)上人は、
 若かりし頃この島で修業しましたが、
 壮年期になってもこの島の景観の美しさが忘れられず、
 まるで人間に宛てて書く手紙のように、
 島に対してラブレターをしたためたというエピソードが残っています。

 で、その文面は今でも残っており、それは、
 明恵上人に関する著書などで読むことができるのですが、
 先日ぼくらもそれにちなんで、島に対してラブレターを書きました。
 それらをまとめてボトルに詰め、近日中に島に埋める予定です。
 タイムカプセルとして、そのまま埋めておくか、
 あるいは何年か後に取り出してみたいと思っています。
 (毎年やってもいいけどね。200年後くらいの連中が読んでも面白い)

 島にラヴレターを書く、というのは、一見酔狂な、
 というか、キザったらしい行為のように思えますが、
 明恵上人は「マジ」で書いてた、というのがミソです。
 いや、マジというより、当然のこととして書いていた。 

 どういうことだろう? 

 人間はともかく、動物も「魂」を持っている、というのは動物好き、
 特にペットを飼っている人はよく分かることでしょう。
 虫や魚などもわかる人にはわかるでしょう。
 植物にも気心がある、というのも、そういう内容の本もあるし、
 そういわれて納得できる部分もある。
 「一寸の虫にも五分の魂」という言葉があるように、
 生命を持つものには全て、何か根底で通じる「気」
 のようなものが存在すると言っても、そうおかしくは聞こえないだろう。
 
 ならば石ころや風、島、大地にも気や心があるのかどうか?
 こういう無生物にまで行くとちょっと話は変わってきますね。
 普通の感覚でいくと、ないように思える。

 だけど、それを「ある」と捉えるのが、日本の仏教思想のユニークな所です。

 「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」と言って、
 草も木も、獣も土も川も石も、森羅万象全てに仏性が宿っていて、
 ことごとく成仏する、という考え方ですが、
 それが日本仏教の基本的な生命観なのです。
 森羅万象すべて分け隔てなく、このエコシステムの中で
 有機的に脈打っているという捉え方。
 
 それはおそらく仏教伝来以前から、つまり
 旧石器~縄文時代からの日本人の自然観であり、
 仏教伝来後それを「仏性」と言ったが、
 以前はアメリカ・インディアンがいうところの
 「グレート・スピリット」とかそういうニュアンスのものとして、
 ずっと存在していたのだろうと思われます。

 あえてわかりやすく図式化すると、
 自然のリズムとともに生きてきた人たち特有の生命観の系譜が
 何千年も連綿と続いてきて、
 有史以降そのベースの上に外来の仏教思想が乗っかったという構図。

 明恵上人は自然と一体化する行・瞑想を通して
 そのことを実感として、深々と感じていた。
 つまり日本仏教の真髄を全身で感得していた。
 島に宛てたラブレターというのは、
 心の内側から発せられた、ごく自然な行いだったわけです。

 で、その意図のなさ、てらいのなさ、自意識の自然さがとても美しいのです。
 行為そのものがアートになっているわけです。
 そのことに敬意を表し、
 800年後を生きるぼくたちも同じ事をしたというわけです。

 またアウトドアマンとしても、実は、
 こういう行為こそが安全性に繋がってくるのです。
 征服、制覇系のチャレンジではなく、
 自然との対話、一体化、リスペクトを抱くことによって、
 気象、海況の微細な変化に気づくことにもつながってくるわけですし、
  「詩情を大切にする」というのは、
 ただのセンチメンタリズムではなく、状況把握という、
 安全管理の根本にも繋がってくる一大事項なのです。
 そしてそれが面白いわけです。 

 海気を読む、とかもそうだし、
 おれたちはポエジーを大切にしたいからアウトドアをやり、
 自然のポエジーが最も繊細、濃密に感じられる行為だから、
 シーカヤッキングをメインにやっているというところがあります。
  
 深くて、豊かなんだよな。 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする