先日の四国トリップの後半は、台風うねりにより太平洋側でのシーカヤック&キャンプが難しかったので、瀬戸内側に移動。香川県の屋島近辺から出て、無人の浜キャンプを挟みながら1泊2日でたくさんの島々を巡りました。
太平洋の黒潮の海と、瀬戸内の海は、別宇宙と言ってもいいほど世界が違う。
前日までいた高知南西岸との対比、そのギャップをとくと実感しましたね。
太平洋側の海岸線は、ことのほか野性の気配が色濃い。波もうねりも風も全く質が違うし、断崖絶壁や洞窟も悠久のスケールを帯び、人間世界から超越したような圧倒感、凄み、迫力、アンタッチャブルさがある。あるいはきめこまかな繊細さがある。
一方瀬戸内の海に漕ぎ出でてみると、どこか人間に近いというか、人間生活の延長上にある自然空間だなという印象を受ける。水平線の彼方は異世界である太平洋と、海の向こうはすぐ隣県である内海の違いからくるのか。実際にたくさんの島々にはそれぞれ、人々の生活と密接にかかわってきた歴史があるし、瀬戸内ならではの野性である「潮流」ってやつも、古くから水軍や船乗りに利用され、権力趨勢を動かすほどの影響すら与えてきた「人間臭い」存在なのである。今回も、稲毛島や兜島、鎧島といった無人島群と同時に、島自体が明治時代から今も続くハンセン病患者の療養所となっている大島、現在はアート作品鑑賞で結構多くの人が訪れる男木島、女木島など有人島もめぐりました。そこで強く思ったのは、一個一個の島に独特の文化や空気感、味わいがあって、シーカヤッキングでそれらひとつひとつに渡り、島を歩いていると、強烈なまでの旅情、「知らん世界を旅してるな~」というトリップ感があるなということでした。
ウィルダネスの旅とはまた違う、人と海とのかかわりの歴史、島文化の多様さにクラっときたというか。
太平洋と瀬戸内、どっちが好き? と聞かれたら、まあどっちどっちですね。
比べる基準が違うので何とも言いようがない。
どっちも面白い。
ただ、純粋に「自然」という意味では、太平洋側の方が飽きないというか、自分の心の中にある野性感覚に訴えかけてくるものがある。だけど、瀬戸内にそういうものがないかといえば、そういうわけでもない。
やはり、瀬戸内の潮流世界を自分の二本の腕で漕ぐと、色々インスピレーションが湧いてくる。その湧き出す源泉こそ、野性感覚そのものだなと思うんですね。とくに、べた凪で全く流れていないように見えてその実、海全体がダーッと大きく動いているというあの独特の世界、凄いと思いますね。
この海を自在に行き来した船乗りの先人たちの息吹を感じると同時に、月の引力ってすげえよなと驚嘆する。
意識の上で、時間軸が過去をさかのぼると同時に、空間軸は宇宙にいくわけだ。
なかなかの境地である。
いわゆるひとつのプラネット感覚。
やはりシーカヤッキングって、極めて優れた体感アートだなって思うね。
瀬戸内の島々に展示されたアート作品の中にも 、ジェームス・タレルのような「体感アート」的作品も見受けられますが、もっと全身体的なもの。「漕ぐ」という切り口から、時間と空間をワープするような意識に至る旅、これ以上ないリアルなアートだと思います。
たぶん、瀬戸内芸術祭は、シーカヤッキングで巡るのが最高でしょうね。