昨日は湯浅~みなべ間シーカヤック50キロツアーを催行。
シーカヤック、あるいはSUPなんかでも最近はレクリエーション的な遊び方が主になり、逆に本格的にやる人はレース系に向かう傾向にある昨今ですが、やっぱりこういう本格トリップ系にこそ、パドリングの本質的、真髄的な深いものが隠されていると改めて思いました。
岬の先端ではいかに風と潮と波が複雑に干渉するのか、岬のこちら側とあちら側ではどれほど海も景色も空気感も一変するのか、海上で間近で見る大型魚の動きの驚異的な生命感、潮待ちでは絶対に焦ってはいけないこと、川の河口を隔てて海の様相も植生も海洋生物も一変すること、やがて自分自身そのものが海洋生物と化したような感覚で見るコンクリートの巨大建造物がいかに違和感を覚えるかということ、またそれは自然の圧倒的パワーには案外脆弱なものであるという実感。
そんな野生世界のリアルを、己の身一つ、裸状態にさらした感性で捉えること。
自然は人間の脳みそを遙かに超越した存在であると、自分の心と細胞のレベルから、畏敬の念を抱くこと。
そしてそれを物事の価値観や、何かするときの判断基準などへと繋げてゆくこと。
それは3.11以後の現代社会に最も必要なものでありながら、最も欠けている要素の一つだと思います。
レクリエーショナルでもなく、
アスリート系でもない。
ネイチャーボーイ系というか、
野生哲学系というか、
それを最も強く持ったking的な遊び、極めて21世紀的なスポーツ、アクティヴティがシーカヤッキングだと改めて思った一日でした。