鹿児島県・こしき島のギャラリーに訪問したときにいらっしゃった95歳の芸術家、平嶺時彦氏。
なんと80歳から創作活動を始めたらしい。
ぼくらは30や40で、あるいは50や60で「もう年だ」と思いがちだけど、そんなセリフは氏にとってみれば、ガキのたわごと、笑止千万の極みに違いない。
平嶺氏の人生はちょっと聞くだけでもすごい。19歳で悪運の遣いであると島で畏怖されるカッパに遭遇し、20歳で満州に派兵。自爆部隊に配属され、胸に地雷を抱え、あと一人で自分の番だというところで撤収。戦後シベリアにて3年間抑留、強制労働生活を送ったという。
で、シベリア生活の話を伺うと、なんと「楽しかった」という。物がないなりに、いろいろ創意工夫して生活用品を作ったりしながら面白く過ごした、とおっしゃる。
周囲には絶望して自死する者もいる中で・・・・、そんな人、初めて聞いた。衝撃的に印象に残った。
その後甑島に帰ってきて土建業を立ち上げ、60人ほどの人夫を雇っていたらしい。
芸術活動を始めたのは、東京の芸大に行き甑島でアートプロジェクトを立ち上げた孫に触発され、「じゃあワシも何か作ってみよう」というのがきっかけだったようだ。
それが80歳の時。現在95歳。
その稚気溢れる中にも「なんでもあり合わせのもので作ってみよう、とにかくやってみよう」というブリコラージュの逞しさが感じられる作品群を眺めているとふと、じいちゃんの存在が、この辺鄙で不便で冷や飯を食わされ続けてきた離島にありながらなんでも創意工夫して作り出し生き抜いてきた甑島人スピリットの結晶のように思えてきて、感動したのだった。
握手していただいた手は、分厚く、あたたかかった。
じいちゃん、長生きしてください。
また会いにいきたいです。