一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1672   春燈や生きる証の便り書く   章子

2016年04月05日 | 

 誰が言ったか忘れたが、「長生きすればするほど、身内や友人知人が次々亡くなって、淋しくなる」と。確かにその通りで、喜んでばかりいられない。ましてや、体調が思わしくなかったり、足腰が弱ったりすれば、次は我が身と思わずにいられない。

 それでもお迎えの日が来るまで、体をいたわりなんとか生きねばならない。心配をしてくれる友人知人に感謝の手紙を書く時、単なる礼状としてではなく、「自分が今生きている、という証を書いている」という実感が湧いてくるのだ。

モクレン(木蓮)

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