今日の日記は、このテーマについてだけ書いておけばいいだろう。第151回天皇賞・春(GⅠ、京都・芝・3,200m)。スタミナ自慢のステイヤーが集まる、年に1度の超長距離ナンバーワン決定戦である。出走馬と私の予想は以下のとおり。
◎ ⑯ウインバリアシオン
このレースの予想に理屈は一切必要ない。ウインバリアシオン、一択である。ただ、彼のGⅠ制覇が見たい。
15時40分、ファンファーレ。ゴールドシップがゲート入りをかなり嫌がり、目隠しをして入れるというトラブルで発走時間が遅れたものの、比較的綺麗なスタートを切る。ウインバリアシオンはスタート直後から中段後方の良い位置につけ、レースが進む。少し馬群の外側に位置してしまい、全体的に走行距離が長くなってしまったものの、最終コーナーを回って直線を向いた時には絶好の手応えで、前も空いていたし、これは本当にいける、と思った。しかし、最後の直線残り200mといったところで急に減速。福永騎手も手綱を引いてスピードを落とし、そのまま12着でゴール(ちなみに勝ったのはゴールドシップだが、そんなことはもうどうでもいい)。そして、騎手がすぐに下馬。ゴールしてすぐに騎手が下馬するのは、故障があった時である。大きな声援を受けるゴールドシップの後ろで、芝の上をとぼとぼと歩いて帰ってくる福永騎手の様子をテレビ画面の片隅に捉えた瞬間は、本当に絶望的な気持ちになった。その後、ウインバリアシオンは馬運車で運ばれていった。自力で歩いて馬運車に乗り込んだ、という情報が唯一の希望だった。
その後は、ただひたすら続報を待った。その間は、自分でも驚くくらい体が重く、食べ物や飲み物も一切のどを通らなかった。そして、ようやく入ってきた情報は、「左前浅屈腱不全断裂により、競走能力喪失」。もう2度と、彼がレースに出走することはないのである。しかし、それは大した問題ではない。命は助かったのだ。命さえ助かれば、それでいい。
ウインバリアシオンには、ファンが多い。これは、天皇賞の後の競馬ニュースの中で、ゴールドシップの優勝よりもウインバリアシオンの怪我の情報へのアクセスが多かったことからも、よくわかる。通算成績は23戦4勝(重賞2勝)と、決して派手な結果を残したわけではない。しかし、2着が7回もある。そして、その内の4回はGⅠでの2着。更に、その内の3回は同世代の怪物、オルフェーブルの2着だった。あの怪物さえいなければ、日本ダービー、菊花賞、有馬記念と、GⅠを3勝していたはず。しかも、後続の馬をかなり引き離して。つまり、オルフェーブルと真っ向勝負することが出来た唯一の馬なのである。また、屈腱炎という競走馬としては引退や安楽死と隣り合わせとなる怪我を2度も克服し、7歳まで走り続けた、不死鳥のような馬でもある。
2度の怪我に見舞われたように、あまり足元が強くない馬だった。怪我の再発を恐れながらも、レースで結果を出せるように仕上げなければならないというジレンマ。松永昌博調教師をはじめとする関係者の皆さんは、本当に苦労されたと思う。彼らの努力がなかったら、ウインバリアシオンはこの年まで走り続けることはなく、人知れず早々と引退し、既にこの世にいなかったかもしれない。そして、今日のレースの最後の直線、鞍上の福永騎手が異変に気付いて早々に手綱を引いていなかったら、そしてすぐに下馬していなかったら、もしかしたら予後不良(安楽死)という結果が待っていたかもしれない。しかし、彼らのおかげで、そして自身の強さで、ウインバリアシオンは生き延びることが出来た。
後日、彼は5月7日付で正式に競走馬登録を抹消され、引退となった。今後については、一度はJRAから種牡馬になるという情報が出たが、実際にはそうではなく、乗馬になるらしい。彼の血を継いだ子どもを応援することが出来ないのは残念だが、彼の余生を考えれば、激務で競走も激しい種牡馬の世界にいるよりも、乗馬として馬好きの人たちに可愛がられながらゆったりと暮らすほうがいいのかもしれない。私も、いつかは会いに行きたいと思う。
ウインバリアシオン号、本当にお疲れ様でした。そして、たくさんの感動をありがとうございました。これまで何度もつらい思いをして、最後も痛い思いをしてしまったけど、君の第2の人生(馬生?)が穏やかで幸せなものになるよう祈っています。
最後の天皇賞のがんばれ馬券は、不屈の精神で走り続けた彼を近くに感じることが出来る、私の宝物になった。
(以下の写真は、今年の日経賞、中山競馬場パドックでのウインバリアシオン)