社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

1月18日(木)

2018年01月23日 00時58分07秒 | 2018年

  今日は、このことだけが全てだった。ここに書こうかどうか迷ったが、書くことにした。忘れてしまわないように。

  私にとっては3人目のおばあちゃんとも言える存在だった、支援先の事務員のKさんが亡くなった。いや、正確には亡くなっているのを見つけた。

  昼前に出張先からオフィスへ戻ると、後輩から「Kさんと3日間連絡がつかない」と聞かされた。支援先の役員さんからも、同じように連絡がつかない状態だという。3日前の月曜日に後輩宛てに電話があり、体調が悪いから仕事の予定をキャンセルして欲しいと連絡を受けて以降、心配で毎日電話をしているのだがつながらず、一昨日からは携帯の電源も切れてしまったという。しかし、役員さんや後輩はKさんには同居人がいるし、大丈夫だろうと思っていた。しかし、私はKさんが最近は一人暮らしをしているという話を聞いていた。だから、すぐに役員さんからKさんの住所を聞き、後輩と一緒に自宅へ向かった。

  1時間ほどでKさんの住む団地に到着し、部屋のチャイムを鳴らすが応答はない。相変わらず電話もつながらない。郵便受けには、月曜日から4日分の新聞が詰め込まれていた。私たちはすぐに団地の管理事務所へ出向いて事情を説明し、警察の方立ち合いの下、部屋の鍵を開けてもらった。支援先の役員さんも駆けつけてきた。かつての同居人の方も後からやってきた。鍵が開いても中からチェーンロックが掛かっていたので、業者さんに外してもらった。この時点で、覚悟した。警察官の鞄には、検視書類が入っていた。私たちは部屋の外で待ち、警察官が中でKさんの遺体を発見した。

  事情聴取で聞かれたことに答え、追加の質問があった場合に備えて名刺を渡し、会社へ戻った。最後まで、Kさんと対面することはなかった。ドアの前で手を合わせることしか出来なかった。

  上司に報告をして、明日上層部へ報告するための書類を作った。オフィスの中では平静を装っていたが、喫煙所に向かうために上司と2人きりでエレベーターに乗った瞬間、涙が止まらなくなった。ほんの一瞬だったが、思い切り感情を吐き出した。

  Kさんは、私が入社したのとほぼ同じタイミングで支援先にやってきた。この支援先の事務所はKさんの1人勤務という環境で、同じ建物の1階違いにいるということもあって、私や後輩はしょっちゅう(時には上司も一緒に)事務所へ伺っては、お茶をしながらお喋りをした。やれ「パソコンが壊れた」だの、「プリンターを新しくしたけど設定方法がわからない」だのといった些細なことで呼び出されては、要件が済んでからも1時間以上おしゃべりをするのはざらだった。時には、「ちょっと疲れたからサボりに行っていい?」という私のわがままも笑顔で受け入れてくれた。一緒にランチに行ったり、休みの日に美術館へ行ったりもした。うちの会社の事業にもたくさん協力してもらった。やっかいなお願いごとも、「もー、あんたが言うならしょうがないわ」と快く引き受けてくれた。ジュリーの大ファンで、彼の舞台やコンサートには必ず顔を出し、その度にどれだけ素晴らしかったか、楽しかったか、そして次の機会をどれだけ楽しみにしているか、熱心に語っていた。年に1度、新年会の時に見せる着物姿はめちゃくちゃかっこ良かった。基本的におしゃべりで、明るくて気が強く、ちょっとだけ寂しがり屋だった。そして、私の結婚が決まった時、妻の妊娠がわかった時には、自分のことのように喜んでくれた。

  生前のKさんは、「私には子どもがいないから、あんたたちが息子みたいなもん」だと言っていた。私がふざけて「孫でしょ?」と言うと、「そんな年じゃないわ」と笑っていた。今回、亡くなって初めて、彼女が65歳だったことを知った。確かに、祖母というよりは母の年齢だ。自分たちを息子のように思ってくれていた人を、1人で死なせてしまった。周りの人たちは「早く見つけてあげられて良かったんだよ」と言ってくれたし、自分でも可能な限り早い対応をしたということはわかっている。しかし、それでも、やりきれない。

  家に帰り、彼女が好きだった和食中心のお弁当を2人分とスイーツを買い、お線香を炊いた。テレビをつけ、借りたままになっていたジュリーのコンサートDVDを流した。やっぱりジュリーはかっこいいと思った。

  こうして振り返ってみると、本当にたくさんお喋りをしたし、笑った。楽しくて幸せな時間を一緒に過ごした。あまりにも突然のことだったが、良い思い出もたくさん残った。だから、最後はいつも通り笑顔でお別れをしようと思う。神原さん、今まで本当にありがとうございました。俺はまだしばらくこっちでドタバタと頑張りますが、いずれそっちに行ったら、またお茶しましょう。その頃にはきっとジュリーもそっちにいるから、彼も呼びましょう。いや、そんなこと言うと怒られるかな。とにかく、またね。


1月13日(土)

2018年01月22日 23時53分06秒 | 2018年

  昨夜22時半に橋本で仕事を終え、相模原へ移動して宿泊施設付き温泉施設「JNファミリー」に宿泊した。お風呂は古いが広いし、何より部屋が広くて快適だった。

  8時起床。温泉で汗を流してから、朝食のバイキング。ちょっとレトルト感が強い。

  9時半前にチェックアウトし、相模原駅へ歩く。

  横浜線で八王子へ出て、八高線に乗り換えて川越へ。結構な距離な上にこれといって車窓も面白くないので、予想に反して苦痛な時間だった。田舎路線だからといって、景色が楽しめるとは限らない。

  妻の実家へ伺い、昼食を頂く。義父母の出身地である新潟の冬の名物、鱈の粕汁が中心。驚くほど美味しい。酒粕と味噌のスープに、鱈の出汁が見事に染み出している。だから、野菜がめちゃくちゃ美味しくなる。新潟の人たちは、これで冬の寒さを乗り越えるのか。また、豚トロの照り焼きも美味しかった。こちらは、肉はもちろん義母のタレが美味しいのだろう。ここへ来ると、毎回料理の美味しさに驚かされる。

  妻と一緒に、出産予定の産院のパパママ教室に出席する。お医者さんや助産師さんから具体的な出産の流れや注意点、事前準備などについて詳しく伺う。正直なところ目新しい情報はないし、「そんなのとっくに知ってるわ」と思ったが、この病院独特のルールなんかもあったりして、事前に聞いておいて良かった。また、休憩時間には、実際に入院中の妊産婦さんに出されている自家製のスイーツを頂いた。かぼちゃのプリンである。かぼちゃの甘さがそのままプリンになっていて、栄養満点だ。

  産院の最寄駅である西武新宿線の新狭山駅前にある喫茶店「山崎」でお茶。出産までゆっくり話が出来るタイミングがどれだけあるかわからないので、いつも以上に貴重な時間に思える。そういえば、まだ名前も決まっていない。「千鶴子」を主張する私と、「それなら千鶴のほうがいい」と一歩も引かない妻の攻防が続いている。ちなみに、「陽子」や「志帆」も候補に挙がっている。

  妻と別れ、私は本川越から西武線特急小江戸32号に乗る。高田馬場でJR、渋谷で東急線に乗り換え、溝の口へ。

  溝の口で支援先の会合に出席してから、20時過ぎに蒲田へ戻ってきた。

  夕食は、1人あんこう鍋。安くなっていたあんこうを1人用の鍋にパンパンに押し込んで煮る。これでもかというほどの出汁が出て、白菜が最高の味に仕上がった。昼と夜、それぞれ特徴的かつめちゃくちゃ美味しい鍋を食べられて幸せである。


1月5日(金)

2018年01月10日 20時49分02秒 | 2018年

  9時起床。朝食はトースト。

  11時前にレンタカーを借り、妻と一緒にドライブへ出掛ける。今週末から妻が出産に向けて実家へ里帰りするので、その前に久しぶりのデートである。

  川崎から東京湾アクアラインに乗り、海ほたるパーキングですぐに休憩。海上なので風がかなり強い。

  1時間ほどで、マザー牧場に到着。こんなに近いとは思わなかった。

  まずは昼食。カツカレーとラムチョップ&スペアリブを注文し、シェアして食べる。ラム肉がジューシーで美味しい。これほど柔らかくて食べやすいラムを食べられるとは。

  食事を終えて外へ出ると、雪がちらついていた。気温もかなり下がり、めちゃくちゃ寒い。しかし、せっかくここまで来たのだからと、散策を始める。屋外にいる動物たちもかなり寒そうに見えるのだが、実際のところはどうなのだろうか。

  馬は、寒さには強い。私たちが近づくと、興奮して走り始めるほど元気だ。厩舎のほうにいる子たちも寒さなんかへっちゃらといった顔で、むしろ雪が降っていることに喜んでいるようにすら見える。

  餌用の人参を買う。他の方々が厩舎の子たちにあげていたので、私たちは外に出ている2人(頭)のほうへ。2頭ともすぐに寄ってくるが、やはり2頭の間には力関係が明確にあるようで、順番にあげようとしても鹿毛(色が濃いほう)の子が栗毛(色が薄いほう)の子を押しのけてしまう。仕方がないので、両手に人参を持って、同時にあげる。これで平等。妻もあげようとしていたが、やはり馬が口を開けて歯が見えると怖いらしく、人参を落としていた。まあ、直前に私が手を噛ませて(×噛まれて)傷だらけになったところを見たからかもしれないが。馬というのは、甘える際に人間でいうところの唇でハミハミしたりしてくるのだが、それでも手を引かずにしているとそれが甘噛みになる。彼らにとっては甘噛みでも、場合によってはそれなりに痛いし傷もできる。それでも、彼らが本気で噛んだら人間の手なんて簡単に折れるのだから、甘噛みであることに間違いはないのだ。噛まれて多少痛くても、そこにあるのは彼らの敵意や悪意ではなく友愛の表現なのだと思えれば、怖さもなくなると思う。ただ、かくいう私もばん馬(ばんえい競馬などで走っている馬で、サラブレッドの倍の大きさがある)に甘噛みされた時にはさすがにちょっと怖かった。

  さすがに身体が冷えたので、喫茶コーナーで暖を取る。しかし、暖を取るためにやってきたはずなのに、妻はソフトクリームを食べていた。確かに牧場に来たらソフトクリームだし、室内は暖房が効いているけれど、それじゃあ身体の中から冷えるじゃんよ。

  今度は牛たちを見に行く。この頃になると段々と雪が強くなってきており、私たちが近づくと一斉に寄ってきて、「早く室内に入りたいんだけど」と訴えかけてきているように思えた。いや、あれは間違いなく訴えていたと思う。そして実際、この後すぐに係員さんが彼らを屋内に誘導し始めると、みんな我先にと入っていった。

  ふれあいコーナーへ行くと、普通にカピバラが歩いていた。私が隣に座りこんでも全く気にしておらず、撫でると気持ちよさそうな表情をしてくれる。そうこうしているうちにもう1頭も寄ってきて、2人並んで行進を始め、寒い中を屋外へ出て行った。

  どこに行くのかと思ってついて行ってみると、2頭仲良く外に設置されているお風呂コーナーまで行って、入浴タイムが始まった。係員さんが合図を送ったわけでもなく、自主的にお風呂に入るカピバラさん。純粋にお風呂を楽しみにしているのか、それとも自分たちに求められている役割を熟知しているのか。入浴後、係員さんに手ぬぐいをかけてもらった姿は本当に可愛いらしく、周囲には自然と人が集まってきていた。

  遊園地コーナーを歩き、お土産屋さんに向かう。遊園地で遊んでいる人は皆無だが、夜になるとここのイルミネーションが綺麗らしい。

  イルミネーションの点灯を待つ間、ショーを観る。牧羊犬と羊、馬や牛などが登場し、正直なところこれといって特別すごい芸が出来るわけではない(牛に関しては、ただミルクを飲んでいただけだった)のだが、そのまったり感が逆に心地良く、純粋に動物たちの可愛さを感じることができた。本来動物というのは、ただ普通に生きている姿が愛らしいのかもしれない。

  ショーが終わる頃には、あたりはだいぶ暗くなっていた。ただ、雪も積もっていて、寒さも厳しくなっている。

  少し早いが、イルミネーション見物を始める。色鮮やかな光がとても綺麗だ。平日とこの天気のおかげ(?)で人がほとんどいなかったのも、神秘的な雰囲気に拍車をかけていた。

  最後にイルミネーションショー(音楽に合わせてイルミネーションが様々な色に点灯する)を見てから、観覧者に乗って全景を眺める。こんなにしっかりイルミネーションを見たのはいつ以来だろう。直近でも、学生時代に友人たちと観に行った榛名湖ぐらいしか記憶にない。あの時も確か結構な雪が降っていたように覚えている。

  蒲田に戻ってレンタカーを返却してから、「マーボ屋」で夕食。里帰り前に何が食べたいかと妻に聞いたら、ここの中華だという。店長さんと出産や育児の話をしながら、ゆっくりと食事をする。ここは何を食べても美味しいが、私たちが特に気に入っているのは酸辣湯麺である。これは何度食べてもすぐにまた食べたくなる。最後に、店長さんが「出産頑張ってください」と杏仁豆腐をサービスしてくださった。ありがとうございます。子どもが産まれたら、また3人で来ます。まあ、それ以前に私1人でしょっちゅう食べにくるとは思いますが。

  20時過ぎに帰宅。久しぶりの1日デートは、あっという間だった。

  翌日6日は家でまったりし、7日にまたレンタカーを借りて妻を実家のある川越へ送る。川越では、超がつくほど豪華な食事をご馳走になった。やはり、妻のお母さんの料理の腕はすごい。お父さんが畑でつくった野菜たちも美味しかった。

  これから2ヶ月近く(いや、それ以上か)は、1人暮らしである。義父母や会社の先輩たちの「これが最後の1人で過ごせる時間だから、しっかり満喫するように」という言葉になかなかの重みがある。