8時起床。今日から2泊3日で大阪の祖母の家へ泊りに行く。大阪で働いている弟が結婚することになり、6日に母方の親戚一同に挨拶に来るということで、関東からも母と私が行くことになった。そこで、せっかくの機会なので早めに行って、京都競馬場で行われる春の天皇賞を観に行くことにした。
新横浜10時19分発ののぞみ221号に乗り、京都へ。乗ってすぐ、駅で購入した「東海道新幹線50周年記念弁当」を食べる。沿線各地の名物が入ったお弁当である。
新富士駅の手前ぐらいで、富士山が非常に綺麗に見えた。こんなに綺麗に見えたのは初めてかもしれない。寝てしまわないで良かった。
京都から近鉄線、京阪線を乗り継いで、京都競馬場のある淀へ。隣駅の中書島に叔父家族が住んでいるので場所はよく知っていたのだが、降りるのは初めてである。
京都競馬場は、とにかく広い。天皇賞(春)は4歳以上の古馬最強を決めるレースであり、今日も8万人以上が集まっていたのだが、敷地が広いのでそれほどゴミゴミした感じがしない。子供連れも多く、競馬場というよりも大きな公園といったイメージである。
馬頭観音にお参りし、先日、引退直後に不慮の事故で亡くなったトウカイトリックの献花台に手を合わせる。昨年まで8年連続で春の天皇賞に出走した馬で、驚くことに12歳まで現役を続けた。天皇賞は4歳以上にならないと出られないから、彼は生涯で出られる天皇賞には全て出走したことになる。勝ち負けに関わらず、春の天皇賞の名物となっていたそうだ。引退後はこの京都競馬場で誘導馬として活躍する予定だっただけに、亡くなったことは残念でならないが、きっと今日のレースも後輩たちの頑張りを空の上から見守っていたに違いない。いや、もしかしたら19番ゲートから一緒に走っていたのかも。
天皇賞を良い場所から見るため、発走の2時間前から通路脇の場所を陣取る。その間もレースはやっているが、今日はメイン以外では買わないと決めているので、ただ見るだけだ。同じように考える人も多く、時間が経つに従ってどんどん人が増え、身動きが取れなくなった。
馬たちがコースに出てくると、一気に会場の熱気が高まる。この頃には、場内にいる全ての人がコースに出てきているため、見渡す限りが人で埋め尽くされている。
今回の天皇賞は、4強の勝負だと言われていた。去年のダービー馬「キズナ」、既にGⅠを4勝している「ゴールドシップ」、去年のこのレースの勝者「フェノーメノ」、そして昨年引退したオルフェーブルの同級生でこれまでずっと彼の2着だった「ウインバリアシオン」。私は、この「ウインバリアシオン」を応援していた。彼を1、2着付けにした馬券を中心に、賭け金の合計はちょうど10,000円。私の中では相当な金額であり、だから他のレースには一切手を出さなかったのである。
15時40分、ファンファーレとそれに合わせた会場全体の手拍子を皮切りに、ついに発走。3200メートルの長距離戦であるためレース時間は3分強と長いのだが、カップラーメンを待つ時間とは雲泥の差があるほど短く感じた。勝ったのは、フェノーメノ。ウインバリアシオンは最後の最後で後ろから差し切ったかと思いきや、わずかに届かず2着だった。前のレースでシュタルケ騎手が落馬して怪我をし、急遽ウインバリアシオンが武幸四郎騎手(武豊騎手の弟)に乗り替わりになったり、ゴールドシップがスタートで大きく出遅れたり、ダントツ1番人気だったキズナが4着になるなど、波乱のレースだった。私の買った馬券は大半が外れ、ウインバリアシオンの複勝で5,000円が返ってきたのみ。損はそれほど大きくないが、完敗である。しかし、怪我明けのフェノーメノの復活・連覇は感動的だったし、ウインバリアシオンも幸四郎騎手も素晴らしいレースをしてくれたので、気分はすこぶる良い。それに何より、勝っても負けても、この興奮は癖になる。
興奮冷めやらぬまま大混雑の京阪電車に乗り、大阪へ向かう。どうしても「スガキヤ」のラーメンが食べたかったのだが、近年大阪地域で店舗数がかなり減っており、昔行っていた祖母の家の近くのお店も閉店してしまっていた。仕方がないので、少し離れた店舗まで食べに行く。
乗り換えで降りた天満橋駅で、少し休憩。せっかくなので、天満橋を見に行く。何となく古き良き橋のイメージを持っていたのだが、実際には都会の大きな橋だった。天満橋って、こんな感じなのね。
改札の近くにある喫茶店で休憩。チョコレートケーキとホットミルク。よく考えたら、今日はこれまでほとんど立ちっぱなしだった。足が棒のようになっている。
地下鉄に乗り換え、喜連瓜破駅へ。これで「きれうりわり」と読む。何とも面白い駅名である。
駅を出てすぐのところにあるイオンのフードコートで、ようやく「スガキヤ」のラーメンにありつく。大阪に来たら、一度はこのラーメンを食べないと気が済まない。まあ、本当は名古屋のお店なわけだが…。
地下鉄で天王寺まで引き返し、近鉄線に乗り換えて祖母の家へ。
祖母の家に着いたのは20時過ぎ。30分ほどで母も到着する。久しぶりに会った祖母は相変わらず元気そうで、最近中国語を習い始めたそうだ。77歳になって、すごいバイタリティである。