社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

山上蒲鉾店。

2019年10月27日 22時29分59秒 | 2019年

 山上蒲鉾店が好きだ。美味しいから好きだ。

 小田原で明治11年に創業、今年で141年目になる老舗の蒲鉾屋さんである。小田原の名産品である「小田原かまぼこ」を製造している会社は13社あるが、その中でも山上さんは特別だ。

 蒲鉾の原材料には主にグチという魚が使われており、現在多くの蒲鉾屋さんは冷凍のグチのすり身を仕入れて蒲鉾を製造している。しかし、山上さんは自分たちで目利きをして仕入れた新鮮な魚をさばいて、一からすり身を作っている。一見当たり前のことのように思えるが、魚は獲れる時期や海域、個体によっても身の質が異なるため、そこから同品質の、しかも高品質のすり身を作るには高等で繊細な技術が必要となる。その技術が評価され、上村社長は厚生労働省から「ものづくりマイスター」の認定を受けている。水産練り製品の分野では全国で3人目だそうだ。このようなあくなき技術へのこだわりが、今の山上さんの商品を支えている。

 水へのこだわりもすごい。山上さんは、すり身を作る工程のひとつである「晒し」とにおいて、井戸水を使用している。その水源は、箱根山と西丹沢から流れてくる水が地下で合流し、そこに海水が差し込んでいる特殊なもので、ナトリウム、カルシウム、マグネシウムを含んでいる。この水を使用することで、この場所でしか作ることができない蒲鉾が生まれている。

 もう一度、結論を言おう。私は山上蒲鉾店が好きだ。山上蒲鉾店の作るかまぼこが好きだ。伊達巻が好きだ。いわしのつみれが好きだ。しんじょうが好きだ。これ以上商品名を並べるときりがないのでやめておくが、このお店の作る商品がとにかく好きなのだ。理由は、美味しいから。そして、その美味しさの背景にある”こだわり”がすごいから。小田原の居酒屋で山上さんの蒲鉾が出てくるとテンションが上がるし、お店で買ってきたものを家で食べるときにはとっても幸せな気持ちになる。娘が美味しそうに笑顔で食べている姿を見るのも幸せだ。美味しいものは、人生を豊かにしてくれる。


ダブルスタンダード。

2019年10月16日 23時14分21秒 | 2019年

 後輩から「何でなんですかね?」と聞かれて、答えられなかった。先週末の金曜日、翌日に台風が来ると言われている状況にも関わらず、私たちは仕事終わりの小田原で居酒屋に入り、のんびりと夕飯を食べていた。

 うちの会社ではダブルスタンダードがはびこっている。〇〇さんは何も言われないのに、△△くんが同じことをやると苦言を呈される、なんてことがよくある。私も、上司のひとりがスニーカーで出勤しているのでそれを真似したら、もっと上の上司から「だらしない。社会人としてありえない」と言われたことがある。私の場合は「なぜ〇〇さんには言わないんですか?僕に注意するなら、まずは〇〇さんにも同じことを言ってください。話はそれからです。」と突き返したが、そうでない場合も、人も、いる。

 とあるジャンルの仕事について、後輩が主体となって取り組みたいAという事業があった。その実施に向けたは上司から事前に成果の見込みや費用対効果についてかなり細かな指摘があり、許可が出るまでにかなりの苦労をした。一方で、Bという事業がある。Aと同じくらいの比較的大きな予算規模にも関わらず、例年の結果からこれといった成果が見込めないことが明らかな事業である。しかし、このBには素通りで実施許可が出た。理由は簡単だ。毎年この事業に参加している発言力の大きい某顧客が「今年もやってほしい」と言ってきたからだ。Aという事業だって、参加を希望している顧客はきちんといる。ではなぜ、Aという事業にだけ厳しく成果や費用対効果を求められ、Bには求められないのか。それが冒頭の「何でなんですかね?」という質問が意味するところである。

 このダブルスタンダードは、組織に長くいると「まあそういうこともあるんだよね」で片付けられてしまう類のものだろう。恥ずかしい話だが、今年で勤続10年目になる私も当初はそれほどの問題意識を持っていなかった。しかし、後輩の話を聞いてみると、こうした筋の通らない意思決定が後輩たちのモチベーション低下をもたらしていること、実際にこの問題で嫌気がさして退職していった後輩がいたことを知った。問題は思っていたよりずっと深刻だった。

 なぜAという事業だけが厳しくチェックされ、実施許可が出るまでに数多くの書類作成や打ち合わせが必要だったのか。この問いに対する純粋な答えでいいなら、私の中には結構自信のある仮説がある。事業の実施可否を決定する権限を持っている上司が、自分の権力を誇示したかったから。おそらく、彼は権限ある立場にある自分に自信がないのだろう。だから、この事業が出来るかどうかは全て自分次第なのだ、ということを私たちに示したかったのだと思う。私は最初からそう思っていたから、検討の過程でああだこうだと厳しいことを言われても、結局はOKになるとわかっていた。彼は否定したいのではない、自分が否定できるということを示したいだけなのだ。くだらないと思うだろう。私もそう思う。しかし、それが現実だ。その程度の人間が権力を持っているしょーもない組織なのだという現実を受け入れなければいけない。

 質問されたとき、こんなようなことを言おうかどうか迷って、結局言わなかった。一方で、「それだけ〇〇さんに期待しているってことだよ」などという誤魔化しもしなかった。賢い後輩なので、こんなことを言っても意味がない。もしかしたら彼女は、私が思いつくようなこの仮説なんて、とっくに考えているかもしれない。

 それでも今日の仕事は楽しかったと笑顔を見せる後輩を見てほっとする。同時に「さて、どうしたもんだろうか」と気が引き締まった。問題を問題だと認識した以上、解決策を探りたい。それがちょっぴりだけ多く給料をもらっている先輩としての役目だろう。


天才はあきらめた?

2019年10月13日 15時11分02秒 | 2019年

 日帰りで盛岡へ行ってきた。

 南海キャンディーズの山ちゃんのトークライブ『山里亮太の140』盛岡公演を観るためだ。このライブは全国各地で行われているのだが、何とか苦労してチケットを取れたのがこの盛岡公演だった。私は山里亮太という芸人が好きだ。TBSラジオ『山里亮太の不毛な議論』を毎週楽しみにしている。彼はラジオではリスナーから「ボス」と呼ばれている。その由来はググればすぐに出てくる。

 『山里亮太の140』は、ボスがTwitterでの過去のつぶやきについて、その背後にどんな事件や本音が隠されているのかを完全オフレコで語るトークライブだ。参加者は、会場を出るときには魔法に掛かって話の内容は忘れてしまう。だから、ボスはトークにブレーキを掛けない。その魔法が効かなくなってしまったら、このトークライブは成立しない。

 ライブの所要時間は3時間。当初の予定は1時間45分だったが、終わってみたら3時間経っていた。魔法のせいで内容は忘れてしまったが、涙を流して笑ったことだけはよく覚えている。3時間笑いっぱなしだったにも関わらず、会場を出るときには身体がすっきり軽くなっていた。不思議な爽快感。カタルシス。

 山里亮太は天才だ。『天才はあきらめた』という本を出し、バカ売れしている(当然私も持っている)が、あきらめるも何も、すでに天才だ。恨みつらみを努力のエネルギーに変換して突き進む天才。かつてはそのストイック過ぎる姿勢と持ち前の性格の悪さからコンビ解散、芸人引退の危機に追い込まれたこともあったが、相方と1人の人間として向き合ったことで漫才の真の楽しさを知った。今となっては、右手に恨みつらみを記録しているデスノート、左手に超強力なお笑いモンスターである相方、背後にはWAONこと妻・蒼井優と最強のリスナー陣を引き連れている。天才がとんでもない武装をしているのだ。面白くないわけがない。

 

【関連項目】

・盛岡散策(北上川沿い)

https://twitter.com/tomonobumatsuda/status/1180667305706934272

・盛岡で食べたもの(回転ずし、盛岡じゃじゃ麺)

https://twitter.com/tomonobumatsuda/status/1180657078404182021

https://twitter.com/tomonobumatsuda/status/1180678251250774016


書きたいことを、書くために。

2019年10月13日 13時52分53秒 | 2019年

 しばらくこのブログを更新しなかったのは、パソコンが実質的に使えなくなってきて、新しいものに入れ替えたからである。それまで使っていたパソコンは、起動するのに30分以上も掛かるようになっていた。それはさすがにつらい。そこで、新しいパソコンを購入した。そして、そのパソコンが届くまでの期間は、潔くブログの更新はしないことにした。

 その間、会社のほうでは、私が中心となってSNSによる情報発信を始めることになり、若いメンバーで協力し合ってFacebookやTwitter、Instagramなどの活用を開始した。今、「私が中心となって」と書いたが、それは上層部との交渉役としてという意味であって、実際の発信自体には私より詳しかったり上手な若手がたくさんいるから、私は自分のペースでコツコツと発信しつつ、周囲のみんなが困っていないか、もっと取り組みやすくするためにはどうしたらいいか、というようなことを考えていればいい。

 しかし、だからといってこのまま情弱でいるのは格好が悪いので、一応私も上記3種類のSNSを個人的に始めてみた。すると、思っていたよりも面白いということに気づいた。特にTwitterが面白い。140文字という制限の中にいかに自分の伝えたいことを凝縮するかを考えていくと、奥が深い。そして、自分が言いたいこと、書きたいことも見えてきた。これまでのこのブログでは、1日の日記という形でその日全体を俯瞰的にとらえつつ、特にピックアップしたいことについて詳細に書くという形をとってきた。その理由は、このブログを始めたきっかけにある。私は以前、もう10年以上前のことになるが、記憶喪失になったことがある。それはせいぜい3日間程度のことであったが、その時の不安感やどうしたらいいのかわからない気持ちは今でもよく覚えている。その時、記憶を呼び戻すきっかけになったのが、数日前に家で母が作ってくれた夕食の鯖に関する父と母のやりとりだった。確か、鯖が傷んでいるのではないかと父が文句を言い、母とちょっと険悪なムードになっていたのだ。そのエピソードが、数日後、病院のベッドの上で自分が誰かすらわからなくなっていた私を救ってくれた。それ以来、日々の食べたものや小さな体験を記録しておこうと思ったのがこのブログをはじめたきっかけである。

 だから当初は、好きで書いていたわけではなかった。また記憶喪失になったときの復活のきっかけになるように、という半ば強迫観念のようなものに追い立てられて日々の日記をつけていた。しかし、あれから10年以上経った今、「また記憶喪失になるのではないか」という不安は薄らいだ。それがいいことなのかどうかわからないが、ようやくあの時の熱さが喉元を過ぎていった感じた。だから、もはや強迫観念に追い立てられて日記をつける必要はない。書きたいことがある日もあれば、残念ながら別にどうでもいいという1日もある。食べたものが美味しかった日もあれば、クソまずいものを食べてしまった日もある。「美味しかった」とは書けるが、「クソまずかった」とは書けない。今の形では、書きたいことが書けていないこともあるし、書きたくないことも書いていることもある。

 じゃあ、書きたいことを書くようにしよう。今流行っている『読みたいことを、書けばいい』(田中泰延・著)というわけではないが(この本も読んだ。面白かった。)、そもそもは「将来また記憶喪失になるかもしれない自分」のために始めたブログなのだから、「もう記憶喪失になることはないだろう自分」でも楽しめるようなブログにしようと思う。もちろん、今までの日記も書いていて楽しかった面も大いにあるのだけれど。正確に言えば、もっと楽しめるような、というべきだろうか。

 だから、今日のこの日記から、書き方を変える。毎日の日記ではなく、書きたいテーマだけを書くようにする。書きたいようなことが全くない日が続くかもしれないし、1日にいくつも出てきて大変になることもあるかもしれない。しかし、とにもかくにもそうやって書いてみようと思う。ごくたまに出会う「ブログ楽しみにしています」と言ってくださる方、特に最近は仕事関係で出会った方がどういうわけかここに辿り着いてくださっているということも増えてきているのだが、もしこれまでの形式や書き方を好きでいてくださっているとしたら、ごめんなさい。でも、そういう場合は面と向かっては何も言わず、そっと見るのをやめてください。案外気が弱いので、直接言われるとブレてしまうかもしれませんので。