私が利用しているGooブログに ”母の日”と言うお題があったので
今日は母の日で思い出す事を書いてみます。
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小学1−2年だった年の母の日を前に
学校で胸につけるカーネーションが手渡される事になった。
”お母さんが亡くなった人は白
そうでない人は赤” と
どの色にするのか手を挙げるように先生に言われ、
母のいない私だったけれど
赤いカーネーションに手を上げ、
それを貰って家の近くに流れる水路に投げ捨てた。
”こんちくしょう” ってそんな感情も思い出される。
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私が日本を離れた年の母の日だったと思う。
シングルマザーに育てられた一人の青年が
初任給で母の日の贈り物を買って家路を急いでいると
高層ビルから飛び降り自殺をした人の巻き添えになって
亡くなられたニュースが何ともやるせなくて
母の日になると今も思い出す。
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生き別れた実母から初めて手紙を受け取ったのは
娘1が小学5年生だった年の春だった。
その手紙の返信をカードに入れて
母の日の数日前には日本に着くよう郵送したら、
数日後に切手が貼られていないと戻ってきた。
初めて贈る母の日のカードが遅れるなんて自分が許せなくて
かなり動揺した私は
郵送する時、カードが入った手紙の重さが気になったので
郵便物を取り扱う店で重さを測って貰い
店員に言われた料金を支払い、
郵便物を預けた事などが
ハッキリと思い出せもしたので
店に行って
”店員が切手を貼らなかった為、
母の日のカードが遅れて着く事になるので
間に合うようエクスプレスで郵送してくれ” と
すごい剣幕で言う自分に驚きながら
店のマネージャーに伝えた。
今より語彙力が乏しい英語だったけど
私は怖じなかったし、引かなかった。
確かエクスプレスの料金は15ドルほどで
それが支払えなかった訳ではなかったけれど
自分は悪くないので、意地になっていた。
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市立公園で催されるボーイスカウトの朝食に
家族で行くのがバッキー家の母の日の習わしだった。
小雨が降る寒い年も家族は集まって義母を囲んで
ボーイスカウトの朝食を頂き母の日を祝った。
今晩はリブアイステーキ1枚を二人で分けた。
皆と違う自分でいたくなかったんでしょうかねぇ
その担任の先生が苦手でもありました。
白いカーネーションを自慢できる子供は少ないですよね。 無神経な先生ですよね。
子どもの頃の母の日の思い出はそれぐらいで
寂しい思いもせずにいました。
強要するそういうお母さんもいたんですね。
嫌な感情になってしまいました?あーーん
あれはあまり良い感じではなかったですよね…
母の日、子どもから親への感謝なんだろうけど、それを強要する親も居ましたねー、それは何か違うよなぁ〜って思ってたわ
ちょっと嫌な事を思い出してしまいましたー。