はちきんizyのアメリカ丼

料理にすると丼カップル
はちきんイジーとアメリカンいごっそうバッキーの
山あり谷ありの国際結婚ブログです。

先の自分の姿

2025-01-07 | あの世へ逝く道

”来年のクリスマスパーティーに使うフォトボックスの

飾りを買いに行こうよ。”

と バッキーに言うと

 

”俺は来年生きていないかも知れんぞ” とバッキー

 

ちょっとでも先の話になると

俺はもう生きていない と言うのが口癖のバッキーだ。

 

80歳まで生きていないと一人で決めている。

 

 

”そんな風に先の自分を見るんじゃなくて

元気にしている自分の姿をビジュアルすることよ。” と

毎回話す。

 

 

自分の健康に自信のないバッキーに

 

これまで大病もせず来たのは十分健康だからだし

人間そう簡単には死なない と話す。

 

 

残された時間を

 

心地よく暮らしていこうよ。

 

  🌿   🌿   🌿   🌿   🌿

 

ヒマワリの種を野鳥の餌に混ぜると

 

 

それは多くの野鳥が裏庭にやってきた。

 

喧嘩せず順に餌をほおばる。


葬儀用に

2024-09-29 | あの世へ逝く道

バッキーが元働いていた会社のオフィスで

事務の仕事をしていた婦人のご主人が亡くなられ

Wake(お通夜?)がある街に行ってきた。

 

私達はその街で2003年から20年近く住んでもいた。

 

 

その街の葬儀屋の一室で9時から11時までWakeがあって

11時からミサがあるお葬式が始まるようになっていた。

 

”俺達は親しい仲ではないからお葬式は失礼しよう。” と

バッキーが云い、10時頃つくように出かけた。

 

部屋にはフレッシュフラワーが生けられた花瓶や

観葉植物の鉢植えが壁1面に並べられ

故人の一親等になる家族が、奥さん、お子さんたち、ご両親の順で立ち

参列者が家族に言葉をかける為、

部屋の入口近くまで並んで自分の番を待っていた。

 

お棺はなく遺灰が置かれていた。

 

 

バッキーも私も故人に会った事がなかったので

その部屋の壁に映し出された故人の思い出写真が映像で流れるのを見て

 

”あーー あの人だったんだ。” と

お互い顔を見合わせた。

 

故人と話したことはなかったけれど

忘れない体格をした方だった。

 

 

壁に流れる故人の写真を見て

自分の葬儀のため

自分が好きな写真を集めておこう と思い

そんな話をするとバッキーが笑う。

 

 

あっ 良い瞬間! 

思う度にスマホを向ける私には

数多くの家族の写真がスマホに残されているけど

自分の写真は少ない。

 

私がバッキーの写真を撮るように

これからはバッキーにも私の写真を撮ってもらおう。😜

 

その中から自分が気に入った写真を

葬儀用に集めるってのはどう?


老老介護

2024-08-22 | あの世へ逝く道

尼子伯母さん御夫婦には今回の訪問は連絡していなかった。

 

理由は

連絡すると尼子伯母さんが

私達の”もてなし”に忙しくされてしまうからだ。

 

義母もなにかと気を使う人だったけど

尼子伯母さんも似ている。

 

 

カネオ伯父さんが病院に行く以外は

家を留守にすることもないだろう と

思った事もあってゆっくりした気分でドアをノックした。

 

 

入口のドアに立つ私達を見て

驚かれた尼子伯母さんは暫く唖然とされてもいた。

 

カネオ伯父さんは居間においた病院のベッドに

横になられていた。

 

1時間ほどお二人とおしゃべりをしてから

私達にハウスツワーをすると尼子伯母さんが云い

彼女について

それぞれの部屋を回る時間も持った。

 

 

私がこの家を訪れたのはこれが2度目でね。

 

 

1度目は

私がまだ20代だった時で、

バッキーの海軍時代の友人夫婦と友人の弟さんも入れ

この家に泊まらせてもらった時だ。

 

バッキーの事だから ホテル代を節約するために

友達3人も連れ泊まらせてもらったんだろう。

 

その時のグループ写真はこれ ↓

 

 

 

その夜、使わせてもらった部屋には今

大型のプラスティックのビン(入れ物)が10程並んでいた。 

 

それらの一つ一つにはラベルが貼られ

何が入っているかが記されている。

 

尼子伯母さんらしくオーガナイズされているけど

使うことがない物もこうして取っておく御夫婦を思いもした。

 

 

地下室のストレジルームにある缶詰の保存料にも驚いた。

 

 

シングルのベッドが2つ並ぶお二人の寝室を見せてくださった時

 

”ほんとはここで寝たいんだけど 

夜中もカネオさんに呼ばれることがあって” と困った表情で言われ

自分は居間のチェアーで寝ている。 と話された。

 

 

この春、転倒したカネオ伯父さんは

その時処方された薬の副作用かどうかで

幻覚や幻聴の症状をだし、

その度に尼子伯母さんが彼を説得しなくてはいけなくて

大変だったと言う話を思い出し

そんな夜もベッドでなく

イスで寝なくてはいけない尼子伯母さんを思うと

良質の睡眠が取れていないようで私までドッと疲れた。

 

私が尼子伯母さんの立場だったら

居間に自分のベッドを置くだろう。 

 

 

もし伯母さんも居間にベッドを運びたいなら

バッキーと義弟の二人でベッドを2階から1階の居間に運ぶことは出来るから

訊くだけ訊いてみても良いように思う。

 

 

お二人は尼子伯母さん側の親族一同を呼び

生き葬式を開かれた事がある。

 

随分以前だったと思うし

カネオ伯父さんがまだまだお元気にされている時だった。

 

そうやって死を迎える準備を早くからされているお二人だ。

 

🌿     🌿     🌿    🌿

 

写真はカメくんの試合の後

チームの皆さんと行った店”オメガング”Ommegang”

醸造所併設のレストラン

 

 

何でも16世紀頃、

ブリュッセルを訪れるローマ皇帝一行を歓迎し

一行が通り過ぎるのを住民たちが祝ったそのパレードを

オメガングと云うらしくて

今もオメガング祭は続いていると言う。

 

 

食べ物は大して美味しいとは思わなかったけど

 

私が選んだクラフトビールは最高に美味しかった。


ピンひらで

2024-04-10 | あの世へ逝く道

コーヒーを毎朝飲んでいた頃、

いつしかカフェイン依存症になって

コーヒーを飲まないと頭痛がするようになっていた。

 

多少のカフェインが入っていたからか

去年の秋のはじめに

マッシュルームコーヒーに切り替えた時は

頭痛がすることは全くなかった。 

 

6ヶ月間程飲んでいたそのマッシュルームコーヒーを

他のブランドのマッシュルームコーヒーに変えようと思いながら、

すぐに良い商品が見つからなかったので、

そのまま放置し、

朝の飲み物をハニーとレモンを加えた白湯に変えた。

 

カフェインゼロになっても頭痛はしない。

 

 

 

なんで こんな話をしたかと言うと

今日 職場でコーヒーを飲んだらカフェインラッシュに

驚いたんで。

 

若い頃はどうってことなかったカフェインラッシュだけど、

シニアの脳には強烈過ぎた。😂

 

今日は5時間、スーパーのベーカリーで働いて

職場でランチを食べたあと しばしネット。

 

帰宅する途中、ジムによった。

 

今日は腕の力がなくてウエイトが持ち上がらなくなって

1セット半ぐらいしか出来なかった。

ここで 1セット8回を3度だぞ と

強く言う自分に従えばいいんだろうけど。

 

楽な方に流される。

 

 

そんな風に私の腕は弱いけど、足腰は丈夫で強いと思う。

 

自慢じゃないけど ふくらはぎは筋肉がむっちりデカいしね。😁

 

ヨガを始めてからこの20年間ぐらいに

7箇所のクラスを試したんだけど

殆どの女性のインストラクターは

私のふくらはぎを見て、その太さに ”ギョ” とされる。😂 

 

 

今日は ”ピンピンひらり” と言う言葉を聞いた。

 

”ピンころ” でなく ”ピンひら” 

 

 

この世を去るまでピンピン元気な身体でいて

去る時は心軽くひらりと宙を舞って天に登る。

と 勝手に解釈し共感。😁


心地良さが広がる

2023-08-17 | あの世へ逝く道

普段休みの水曜日、野菜売り場で5時間仕事がはいった。

 

働いていると一人の婦人が

クーラーの前に立ってぼんやりされているので

 

”メイ アイ ヘルプ ユー” と訊くと

 

私の顔を見たその婦人が

 

”あら 貴方ラインダンスに来てた人ね。” と

目を見開いて言う。 ( えっ!)

 

先週、ラインダンスに参加した私の事を覚えておられ

ちょっと驚いた。

 

クラスにアジア人が私一人と言うのもあっただろう。

この街は98%が白人で黒人は0.6%アジア人は0.4%。

 

ラインダンスの話からお互いに自己紹介を始め

短い時間だったけれど、とても心地良い会話が持てた。

 

年齢は70代かなぁ?

ほんの少し頭が呆けてきているのは感じられた。

 

私も呆けてはいるんですが 私より呆けが先輩に感じた

 

婦人と心地良い時間が過ごせたのは

婦人が純粋で優しいオーラを醸し出していた事もあるだろう。

 

小学5年生を受け持つ教師でもあったと言うから

婦人から子供のような純粋さを感じるのは

そこから来てるんだろうかねぇ。

 

とにかく、婦人との時間は心地良かった。

 

色にするとパステルカラーのような婦人だった。

 

 

 

他州で催されている会の1日目も無事終わった と

昨夜、会食での料理の写真や

会場の写真をバッキーが送ってくれた。

 

 

 

“ 転職した25年前に

この会社に出会っていたかったぞ”  

 

今回の仕事上での出会いを

心地よさそうな声色でバッキーが話す。

 

バッキーがこの会社を一番に気に入ったのは

会社が地域社会にお返しをするから

 

ギブ バック ツー ザ コミュニティー って

とても大切な事だと思う。

 

 

バッキーが送って来た料理や建物の写真以外に

こんな噴水? それとも男性用便器?🤣もあった

 

私がその場にいたら被写体にしていただろうと

思ったんだろうね

確かに私はなんでもにスマホを向ける😂

 


ハッピーニューイヤー

2023-01-01 | あの世へ逝く道

私達が住むここ中西部田舎町は寒波の被害も受けず

この冬を過ごせている。

この数日間は気温も上がり、雪も溶け始めた

 

 

私と違って、痛みに対して泣き言を言わないバッキーが

また腰痛を訴えるようになって暫くだ。

 

過去に数回、腎臓結石をしているバッキーは

 

”あの時もひどい腰痛があったなぁ ” と

 

その日のことを思い出し

 

”もしや今回も”  と

 

その検査もかね医者の診察を受けた。

 

 

腎臓結石の心配はない結果が出たけれど 

腰痛はつのるばかり

そんな中での作業をしてくれている。

 

 

 

金曜の午後、

”寒い寒い”と言って

バッキーが早めに仕事をあげ帰宅した。

 

 

若い頃から私より体温が高めだったバッキーなのに

この1-2年に体温がすっかり低くなって

いつも手足が冷たい。

 

逆に私の体温は若い頃より高くなっているように感じる。

 

 

 

 

ソファーに横になったバッキーに目を向けると

いつの間にか眠りにはいっていた。

 

 

寝顔に老いを感じた。

 

 

老いは私も同じではある

 

時間がやたら早く過ぎるように

老いもスピードを上げているかのように感じる。 苦笑

 

そんなことを思っていると

死がすぐそこに来ているような気までしてきて

その日のことを想像してしまった。 

 

死を恐れる という思いはないけれど

以前のように

”いつ死を迎えても良い” とは思わない。

 

 

私はもっともっと幸せを感じ

感謝を膨らませたい。

 

 

 

この世を去るのはそのあとだ 

 

 

 

”2023年の目標はあの家を仕上げることかしらね”  と

 

私が言うと

 

”その作業には一生かかるぞ”

 

と バッキーが夢を膨らませるように応える。

 

 

修繕をしていけば行くほど

いろんなアイデアが浮かぶんだろうね。

 

      

       

そう思っても

2023年が輝いて見える。

 

ハッピー ニューイヤー


楽しみ色々

2022-06-03 | あの世へ逝く道

 

今年で66歳になる。

人生100年時代と言われる今でも

後34年しか残っていない。

 

日によっては 

まだ34年もあるのぉー。 って気分になることもあるけどね。苦笑

 

 

 

バッキーのように几帳面に毎日を暮らしていきたい。

 

そうして歓びの感情をゆっくりと深めたい。

 

それが私のしたい暮らし方だ。

 

 

 

深めに深めた歓びの心は

死ぬ瞬間にポーンと弾けて

その力がロケットを発射させる程大きいと

私を宇宙の彼方にまで、すっとばしてくれるのだ。 笑

 

                      

 

 

 

 

 

 

川べりに作られたガーデンに色が付き始めた。

 

 

これから咲いていく花々に気づくのは

夏の一つの楽しみだ。

 

 

去年、寄植えしたゼラニウムのポットも外に出した。

 

花がつくと、ハッとするけど

茎から出た新しい小さな葉の成長に注意が行く

 

 

それとね

 

もうこれで終わりだろうと思っていた胡蝶蘭に

 

 

また 新しい蕾がついて

 

 

ゆっくりと膨らんできたんですよ。 

 

 

             ぽちっとね

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その後

2021-01-31 | あの世へ逝く道

ソファーに座って

3人でテレビを観ていると

チャンスがベッドで

ぐっすりと

眠っている姿に目が止まった。↑

 

何ともピースフルな姿に

このまま目覚めず天に舞う事が出来たら

本望だろう

と思った。

 

 

 

 

 

今朝のおむつはドライ

 

寝る前のトイレは

私がチャンスを連れて行く事にしてある。

 

 

 

ドアを開けると

夕方から降り始めた雪が5センチ程積もっていた。

 

チャンスが通る箇所だけ

ショベルで雪かき。

 

足元がヨタヨタしているチャンスだけど

まだまだ

デッキから庭に下りる数段の階段は上り下り出来る。

 

階段のすぐ下がチャンスのトイレにもなっているので

そこに行くと

すぐに排尿もする。

 

 

さあ

明日は日曜日

皆仕事が休みだから

私が皆より先に起きて

チャンスをトイレに出そう。

 

 

では

おやすみなさい。

 

 

 

あっ そうだ。

 

またハイビスカスに沢山蕾がついてきたんです。

 

 

その中の一つが

明日には花びらを開かせそうで

 

 

それを誰よりも先に見るのも

楽しみだ。

 

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私のために生まれてきてくれた

2021-01-22 | あの世へ逝く道

16歳のチャンスが

時々床に尿をし始めた。

 

高齢の為とは思うけど

念の為尿の検査をしてもらったら

異常ないとの事

 

 

 

もう一つ

今までと違った行動をとるようにもなった。

 

 

私の側についてくるのだ。

 

 

トイレから出ると

ドアの側で横になって私を待っている。

 

居間でテレビを観ている時も

私のチェアーのすぐ下の床で横になる。

 

 

 

それまでは

自分のベッドで

誰を必要ともせず

殆どの時間をそこで眠って過ごしていたのに、、、。

 

 

 

 

チャンスは

自分がもうすぐこの世を去る事を

知っているのだろうか

 

 

自由奔放に生きてきたチャンスよ

 

最後の君の仕事は何なんだ。

 

 

今日の感謝

 

私の為に生まれてきてくれたチャンスに

胸が詰まるほどの ありがとう

 

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嵐と共に逝った人

2020-08-11 | あの世へ逝く道

今週、寿司子が有給休暇を取ったので

月曜から金曜まで5日間働く。

 

仕事を終え

イリノイの街に帰って来ると

午後、大きな嵐に襲われたこの町では

あちこちの歩道が

倒れた木の枝で塞がれていた。

 

 

 

 

我が家は裏庭の向日葵が

 

全滅

 

 

まだまだ沢山の蕾をつけていたのに

残念!

 

 

 

 

”きっと会長はこの嵐にのって

天に舞い上がったんだろう。”

 

丁度嵐が訪れた時間に

息を引き取られた会長を想ってバッキーが呟いた。

 

 

大きな木々まで倒すほどの嵐を起し

天に舞い上がるなんて

あの会長らしくて

そう思い始めると

誇らしくもなって来た。

 

 

 

コロナに感染してから

あっという間に

肺も心臓も侵され

何度かストロークまで起こされた会長の生死の選択が

医師と家族で行われた昨日の午後

取り付けてあった人工呼吸器を外す事にしたと云う。

 

 

苦しみから解放された会長は今

いつものあの

自信たっぷりの豪快な笑い声を上げているに違いない。

 

 

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書いているうちに救われた。

2019-06-20 | あの世へ逝く道

忙しい水曜日も何とか終了

 

仕事の途中に中国人医師の診察を受けに行った寿司太郎は

 

約束通り2時間後ピッタリに職場に戻って来た。




 

”25分間自転車をこいだから汗でビッショリだ。” と


言う意味の単語をジェスチャーと一緒に


途切れ途切れに並べ寿司太郎が話す。


中国人は家族、親戚、友人を助け合う人達と思っていた私は


仕事が休みとはいえ


中華マネージャー(中国人)が 寿司太郎(中国人)を


医院まで車で送迎しなかった事にちょっと驚いた。




 


診察の結果


たいして悪くない。


高血圧の処方箋薬をとり始めた。


、、、と言う事だった。




 

40代だった頃から ”いつか来る死”を考えるようになったのは 

 

義父が癌を患った事が大きかった。

 

どう死にたいか  は

 

どう生きるか  になり

 

死を考えるのは今あるを考える事で

 

”今” この瞬間にいる自分を意識する事にも繋がった。

 

自分のいる世界は


自分の心が創りあげている物と捉えるようになった事も


自分の内を意識する事に繋がった。



 

 

霊媒師のマライヤさんから


あの世にいる祖母や父の事を聞いてからは

 

あの世とこの世が非常に近いものだと信じる気持ちが深まった。

 

 

でも


見る事も聞く事も触れる事も出来ないあの世は

 

それらを求めたら

 

この世の者からは遠い世界ではある。

 




 

私たち夫婦が自然に死を迎えるとすると

 

10年ぐらい、私の方が長生きしそうで

 

一人の生活を想像する事が最近多くなった。


 

年齢的にも一人で出来ない事は今より多くはなるだろうけれど

 

何とかなるようその解決策は自分で見つける と

 

そんな 心配は殆どない。

 

 

怖いのは孤独感に苦しみを感じる事だろうか

 

 

 

”俺が死んだら

 

誰もお前に会いに来る者はいないだろうな。”  と

 

バッキーが余計な事を言う。

 

 

 ”そんな事分かってるわよ。

 

家族には何の期待もしていないわ。”


と 私は強がって応えた。

 

 

多分 そんな暮らしの中で人々は

 

自然との繋がりを強く持つようになるんだろう。


人より大きな存在に対する感謝も深まるんだろう。


そんな中で死を迎えられたら


それこそ成仏や。


写真の犬 ガスは今月末に10か月になる。

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感動して

2019-04-21 | あの世へ逝く道

こんな事があった夜


腫れた足首を冷やしたり

 

患部を包帯で固定して

 

早くからベッドで安静にしていた事が良かったのか

 

”随分楽になったぞ

 

杖なしでも歩いてトイレに行けたしな、、”  と

 

言うバッキーの嬉しい言葉をきいて

 

土曜の朝がスタートした。

 

 

イリノイの家では

 

バッキーが殆どの家事をこなすので

 

それらがたまらない様に私は

 

朝早くからまめに家事をし始めた。

 

 

寝る前のワンズの散歩は


いつもバッキーがしていたけれど

 

昨夜は勿論私の仕事

 

レイラとチャンスを連れ外に出ると

 

大きな満月が目の前に輝いていて

 

フルムーンと知らなかった事もあって 

 

深く感動した。


 

4月の満月にはピンクムーンとか

 

フィッシュムーンとかいう呼名があるらしい

 

 

 

人があの世に逝く道

 

今までの人生が映画でも観ているかのように

 

目の前に流れると聞くけれど

 

そしたらこの満月も


 その中に入れたい   とそんな事を願った。


 

頬をうつ優しい風も

 

耳に響く小鳥のさえずりも

 

川のせせらぎも

 

トタンを打つ雨の音も


陽をあびた布団のぬくもりも

 

台風の後の澄み切った青空も


波が押し寄せてはひく音も


潮の香も

 

しんしんと降る雪も

 

サンサンと輝く太陽も、、、

 

全ての恵みをバックグラウンドに

 

家族や友人たちとの時間が映像になって流れると良い。



 

 

この世にいる自分の世界は

 

自分の心が決めるように

 

あの世の世界も自分の心が決めるなら

 

自分を赦し愛する事。

 

心のガラクタはこの世にいる間に

 

出来るだけ片付ける事、、、、、、、だろうなぁーーー

 

満月の夜はこんなへんてこりんな事を思わせる。

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