唱歌が山口さんを日本にかえしてくれると一人勝手に信じる私は
ふるさと をもう一度山口さんに聞いて欲しく
”私が行くまで待っててくださいね。”
そう心の中で唱えては涙があふれて来て
死を前にした人に会いに行くってこういう気持ちなんだろうか と
家族の臨終にかけつけた事がなかった私はそんな事も思いながら
アイオワまでの田舎道を走った。
スピード違反はしていなかったけれど
気持がせっていたのか老人ホームには1時間ちょっとでつく事が出来た。
いつもと違い山口さんの部屋のドアは閉まっており
軽く2度ノックをしてからドアを開けると
2人部屋にいる山口さんのベッドの周りはカーテンで仕切られていた。
カーテンをあけると
最期を看取るプログラム 11th Hour Vigil を始められたジュディーさんがおられた。
彼女とはホスピスボランティアのトレーニングクラスを一緒にとっていたので
お互い顔は知っていた。
危篤状態の患者さんの名前や場所の情報は
電子メールやテキストメッセージで送る事は出来ず
電話でジュディーさんから受け取る事にもなっているので
何度か電話で話した事もあった。
”ありがとう”
私の顔を見るやジュディーさんが言われる。
それは私が彼女に言いたい言葉だ。
山口さんが何時にどのような医療ケア―を受けたかなどの説明を私にした後
ベッドサイドテーブルに山口さんの汚れた紙おむつが置かれていた事や
この部屋をシェアーしている認知症の方が出入りする状況を ケイアス chaos と言い
そんな不満を彼女が私の耳元でつぶいた。
そんな事が彼女程 気にならなかった私は軽く相槌を打ちながら聞いた。
テーブルに置かれた電池式の蝋燭や本をバッグの中に入れ
ジュディーさんが部屋を出られた。
蝋燭もお祈りの本も持って来ていない私は
サイドテーブルにいくつか積み重なっていた写真の額から
お若い頃の山口さんの顔写真が入った物を取り出し
テーブルの上に置いた。
人があの世に逝くと 3-40代の身体になると読んだことがあり
その姿になっていく山口さんを想うからだ。
スマホで 唱歌 ふるさと を探し
山口さんの耳元に置き椅子に座った。
”ご苦労様 山口さん”
そんな想いと一緒に ただただ痛みに苦しんでおられない事を願った。
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