はちきんizyのアメリカ丼

料理にすると丼カップル
はちきんイジーとアメリカンいごっそうバッキーの
山あり谷ありの国際結婚ブログです。

涙が溢れたドライブ

2024-03-05 | 日本の家族

”家具を見に行こう” と日曜の朝バッキーが言い出し1時間ほど先の町に行く事になった。

助手席に座った私は道中、窓に流れる景色を追いながら祖母を想った。

 

3月3日の日曜日が祖母の命日だったから。

 

 

 

一番に思い出されたのは、祖母が事故にあって亡くなった話を校長先生から聞かされた日の事だ。

 

中学3年の卒業遠足は祖母がお嫁に行った先の街だった。

その街に祖父や戦士した叔父が眠ってもいた。

 

遠足先だったその街から中学校までバスで帰り着くと、

 

”イジ―さん、校長先生が貴方に話したいことがあると言うので校長室に行ってくださいね。”  と言われ

校長室のドアを叩いた。

 

ドアを開けた校長先生は私の手をとってソファーに私を座らせ、私の膝の上で手を握ったまま

 

”イジ―さんはおばあちゃんと二人暮らしだったんだよね” と

初められ、そこで嫌な予感がしてきたけれど まさか 祖母が亡くなったとは思いもせず 黙って校長先生の話を聞いていた。

 

祖母が亡くなった事を知らされるや言葉のない涙が後から後から出てきた。

 

放心状態のような様で校長室を出ると、廊下に立っていたバスケ仲間の友人が私を見るや泣き出した。

 

それを見て私はまた泣き崩れた。

 

でも泣いたのはそれっきり

横たわる祖母の遺体を見ても涙はこぼれなかった。

 

 

 

担任の岡林先生と別の学級の先生が祖母と暮らしていた家まで車で私を送ってくれた。

 

すると、どこから祖母の死を聞きつけたのか、創価学会の人がお仏壇を取りに来た。

 

2階の押入れに入っていたその仏壇を婦人に返した時

 

”祖母は迷惑をしていました。” と失礼な口調で婦人に言った。

 

創価学会で救われるかも知れないと思った父が家に持ち込んだ仏壇だったのだろうけど 祖母がその宗教を嫌がっていたのを知っていた私は仇でも打つような思いできつい口調で言った。

 

 

 

次に思い出されたのは

”はしか”に罹った幼児期、祖母が私をおんぶして暗い庭を歩いていた様子だった。

そうして毎年、中耳炎に罹る私を夜も起きて看病してくれた日のことなどが思い出された。 

 

大切に育ててもらった事を思い出していると

 

小さかったけいちゃんとカメくん ↑ の子守をしていた頃に思いが返った。

二人の世話をしていた自分の側に亡くなった祖母もいたようにさえ思え涙が溢れてきた。

 

”おばあちゃんの優しさは、私の孫にも伝えることが出来たと思うよ。” と感謝した。

 

 

    🛻   🛻   🛻   🛻   🛻

 

バッキーと家具屋に行く前にランチを取ることになった。

寄ったレストランは寿司やラーメンがメニューにあったけれど、怪しそうな店に感じ、好きなサーモンはオーダーせず野菜巻きにしたのだけど、サイズが大きくて太巻きを思わせた。

 

 

”具は違うけど、おばあちゃんがよく作っていた太巻き寿司や” とバッキーに話すと 

祖母の命日だったこともあって

”オマエのおばあちゃんが一緒に来てくれてるサインかもしれんなぁ” と言う。

 

その店は 今まで行った店の中でもトップ中のトップに登るほど最低な店だったけど家具屋ではいい買い物が出来た。 😁

 

この日の夕飯はステーキとエビ😁


命日でした

2024-02-06 | 日本の家族

2月5日は父の命日だ。

そして父の兄の誕生日でもある。

 

ただの偶然だろうけど

まるで兄に自分を思い出してもらいたくて、その日を自分の命日に選んだようにさえ感じる。

 

誰も忘れられたくはないものね。

 

 

父は大正生まれで今生きていたら102歳になる。

 

父が亡くなった年の平均寿命は72歳と言うので

56歳で亡くなった父は平均より短い。

 

父は大学2年の時、精神分裂病と診断され、

その後、阪大?でロボトミーを受けている。 

 

 

ロボトミーと聞くとジャック・ニコルソンの映画”カッコーの巣の上で” で彼が廃人のようになったシーンを思い出されるかも知れないけれど、父はその後、社会生活が出来るようになり、教師?か何かの仕事にもついた。

30代の初め、母とお見合い結婚もし、35歳の時私が生まれ父親にもなった。

 

ただ、父が仕事を休むことが多くなったのか、職を失ったかして

経済的な不安を感じたのだろう母は家を出た。

 

結婚が安定した生活を手に入れる為のものと考える女性は多かったかも知れない。

 

母が家を出た時、私は1歳半だったので何も覚えていないけど

父にとって人生で最も辛い時だったと想像する。

 

と言うのも

感情の乏しかった父が母の写真を見ては

涙ぐんでいたのを小学時代に目にしたから。

それは私にとって父の一部を知った大切な出来事でもあった。

 

 

父は私が6歳の時に精神病院に入院し、亡くなる年までその病院で暮らしていた。

昭和30年代、精神医療はまだまだ遅れていて、父のような精神疾患を持つ患者を社会復帰させようとするより病院に閉じ込めておこうとしていたような時代だった。

私が覚えている父は悪く言うと薬漬けにされていた。

 

 

生まれる時を選択できたとしたら、時代を間違ったね。

 

今はね。

マイクロチップを脳に挿入する事で精神分裂病の治療も出来そうだって時代に入ったんだよ。 


次の旅程が決まった

2022-04-04 | 日本の家族

 

それは短時間にコロラド行きの日程が

一昨夜、決まった。

 

婿が他州に出張している5月、

コロラドに私一人で飛ぶ事にしたのだ。

 

 

この件では亡くなった父から

コロラドに住む娘一家に会いに行ったほうが良い。と

メッセージでも送られて来たかのようにも感じられ

お仏壇に手を合わせる度に父に礼を言う。

 

 

      

 

私が生まれる以前にロボトミーの手術を受けた父とは

会話らしいものを持ったこともなかった。

 

 

ある年、病院から外泊を貰った父と帯屋町に買い物に行った帰り

お堀に沿った歩道を歩いていたら

父が小さな石段につまずき手のひらを地につけた。

 

父の手から血が出ていたのを見た私が

 

「家に帰ったらバンドエイド貼っちゃうきね。」

 

珍しく、ごく普通に言葉をかけると

父は黙ったまま すうっと私の手から重い買い物袋を取り

何も言わず家まで持って行ってくれた事があった。

 

父の感情が私に向けられた たった一つの思い出だ。

 

その話を私は泣きながら友人に話したのに、

青年期、私が父を想う気持ちは薄くなるばかりだった。

 

 

 

 

 

 

昨日、コロラド3男 オリー君の

最近の写真が目に飛び込んできた。

 

 

彼らに会うのも2−3年ぶりにはなる。

 

5月が楽しみだ。

 

 

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命日

2021-09-03 | 日本の家族

8月30日は母の命日なので

1ヶ月間だけ毎日

お仏壇の花を変えてみよう

って

これと言って意味はないけど

そんなことをふと思った私は

家の庭やキャンプ場に咲く花を

取り替えて花瓶にさしている。

 

母の好きな花さえ知らない私だけど

この赤いグラジオラスが似合う人だった。

 

 

3年前の8月28日

夕方仕事が入っていた私が

流しで洗い物をしながら

 

”母が亡くなったら

きっと私達は生きていた頃より

お互いを近くに感じるようになるかも知れない。”

 

急に

そんな事を思ったのは

その日が私の誕生日だったからだろう。

 

 

ほら

誕生日って自分の両親

特に自分を生んでくれた母親の事を

考えたりするじゃないですか。

 

でも

それだけでなくて

その時

母が私の事を思ったから

その思いが

ビューンと

海を超えて

私の側まで飛んできたのかも 

 

って

そんな事を思ったりもする。

 

 

お皿を洗いながら

私が母のことを考えたその時

14時間時差のある日本で

母は倒れ

病院に運ばれたんです。

 

 

 

 

私が母と暮らしたのは

乳児期の18ヶ月間だけで

母に会ったのも

私の2度の帰国時と

長女の結婚式に

母が初めて来米した時の計3度だけど

自分が思う以上に

強く繋がってるんでしょうかね

 

 

 

 

 

母は

入院翌日の30日早朝4時半(日本時間)に

苦しむこともなく

家族に囲まれ

この世を去ったそうだ。

 

 

 

 

 

 

水曜日のランチは

 

 

夕飯はひとりごはんだったけど

カップヌードルじゃぁ

栄養悪いんで

 

 

これが結構美味しかった。

味付けは醤油とオイスターソース

バターで炒めたイカに

野菜や麺を加えて調理。

 

 

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おすすめの映画

2021-06-12 | 日本の家族

先月

私が観たかった映画”ペーパー スパイダーズ”を

バッキーと観た。

 

 

 

妄想性障害の母親と18歳の娘の物語

 

そういう病を理解するのに

よく出来た映画だと思う。

 

皆口を揃えて言っているけど

母親役の女優さんの演技も素晴らしい。

 

観る価値のある映画です。

 

 

被害妄想に苦しむ母親が

隣人に監視され攻撃されていると信じ

数々の奇怪な行動を取る様子は

精神を患った私の父親とも重なった。

 

 

私が生まれる15年前の事

 

東京で大学生活を送っていた父は

他の下宿人が自分の腕時計を盗んだ

思い込み

警察沙汰になるほどの大騒ぎをし

その時の奇妙な言動から

精神科医の診察を受けることになって

精神分裂病(総合失調症)と診断された。

 

 

 

 

父の誕生日の今日

もう一度この映画を観ながら

想いをよせた。

 

もっと書きたいことがあるけれど

うまくまとまらない。

 

 

 

 

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メモリアルデーにする事

2021-06-01 | 日本の家族

戦没者追悼記念日であるメモリアルデーに

家族や知人のお墓参りに行く人も多い。

 

バッキーから声がかかり

月曜はアイオワにある私達の墓地や

義父や祖父母の墓地に行って来た。

 

どの墓地も人で賑わっており

新しい造花や国旗が立てられた墓石も多かった。

 

 

 

メモリアルデーということで

それは多くの国旗も墓地内に立てられている。

 

多分300以上

 

長いポールもこの日のために立てられるので

大変な作業だ。

 

 

遠くにポツンと立っているのが

私達の墓石

 

 

諏訪は私の旧姓

 

 

養子縁組も何度かしながら

なんとか14代続いた家も

私が最後の代になった。

 

その時点で家はすっかり滅んでおり?

私が家を継ぐ必要もなく

アメリカに嫁に来る事も出来た。

 

そんな事情があり

先祖の墓石をアメリカに立てることにした。

 

バッキーの考えで

その墓石は私達夫婦のものとしても使う事にし

先祖の名の反対側の面に

私達夫婦の名字を刻み

私とバッキーの名前と生年月日を

それぞれ左右の面に刻んでもいる。

 

 

 

今回は水やお米も持参

 

墓石を洗い

お米をお供えした。

 

 

この後

義父母の墓地へ

 

そんな一日でした。

 

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命日でした

2021-03-04 | 日本の家族

今日 3月3日は祖母の命日

 

私の両親が離婚した年から

私を育ててくれた人だ。

 

霊媒師マライヤさんに

 

”本性ぞね”

残してくれた人 

 

 

 

 

料理、洗濯、掃除は駄目だけど

人に頼まれ代筆したり

計算をするのは

明治生まれの女性にしては

よく出来ていた。

 

 

確か

小さな医院を開いていた祖父の手助けに

調剤もしていた。

 

祖父が亡くなってからも

家には茶色いガラス瓶に入った粉薬があった。

 

その中の一つは睡眠剤だったと思う。

 

 

祖母も眠るにつくのが苦手だったのか

睡眠剤を摂る事があった。

 

でも

一旦眠ると

イビキがそれは高かった。

 

 

 

白い正方形の紙を使って

粉薬を包む方法を教えてくれたよね。

 

忘れてないよ    

 

 

毎朝毎夜

線香をあげ

般若心経を唱えていたよね。

 

 

 

私も今晩

させていただいたよ。

 

 

帰国した時に買ってきた これ ↓ を

読みながら、、、。

 

かながふってあるんで

私にも唱えられる。

 

唱えると云うか

ただ ふりがなを追って声を出すだけだけどね

 

 

お経を唱える事が少ないからか

上手く息継ぎが出来ない。

 

無理をすると

酸欠で頭がクラクラ 

 

 

 

でもね

毎月1度

お経を唱える時間を持とう

って

バッキーが言ってくれたんで

毎月3日か5日に

読経してみようかな

と思っている。

 

 

そしたら

息継ぎもちょっとは上手くなるかも

 

 

 

暑い夏はアッパッパーを着ていたけど

ほかは

着物だったよねぇ

 

腰巻きに襦袢に

着物に帯に、、、

 

いろんな紐もあって

それら一つ一つを手渡す時間が

私は好きだった。

 

帯をしめる姿は

子供の目にもアッパレやった。

 

 

 

        

 

おばあちゃん

ずっと見守ってくれて

ありがとう。

 

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お風呂いろいろ

2021-02-27 | 日本の家族

 

今日は

悪寒と眠気に襲われながらの1日だった。

 

身体を温めようと

カメ君とワイ君は男性達に任せ

湯船に浸かることにした。

 

 

皮膚に良くないとは言われても

熱いお湯に浸かりたく

バスオイルを身体に塗ってから入浴

 

生姜のエッセンシャルオイルも数滴落とした。

 

アメリカの浅くて長いバスタブに

足を伸ばして横になる。

 

肩まで浸かろうとすると

膝を曲げる必要が出来

膝が湯から出る。

冷えてくる膝を湯の中に入れると

肩が湯から出る。

 

 

それを繰り返しながら温まる。 笑

 

追い焚きもないので

お湯がぬるくなると

熱い湯を足す事2−3回

 

 

               

 

年を重ねる毎に

子供の頃に想いをやることが多くなった。

 

私を育ててくれた明治生まれの祖母との

入浴タイムも思い出される。

 

家にあった五右衛門風呂は

鉄の風呂釜で出来

薪で沸かす。

 

湯に浮かんだ板を踏み

風炉釜の底に沈めるのは私の仕事

 

その後祖母が続き

熱い風炉釜のふちに触らないように

二人で

じっと座って入浴した。

 

いつの間にか

五右衛門風呂に入ることはなくなり

銭湯を利用したり

近所に住んでいた伯父夫婦の家のお風呂を借りていた。

 

お風呂で温まっても

夜道を歩く中

祖母の身体は

冷えきってしまっただろうに

そんな心配など

したこともなかった。

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父の日に

2020-06-21 | 日本の家族

日本は父の日ですね

 

母の日の想い出もなければ

父の日の想いでもなくて

 

”お父さんありがとう”

 

って

そう言った事のない自分を

寂しく、、情けなく、、思う、、かなぁ

 

 

 

私が6歳の時から亡くなるまで

入院生活を送っていた父とは

触れ合う時間が少なくて

人にとっては小さな事でも

私にとっては

思い出す度に

今も心が熱くなる出来事

いくつかある。

 

たまにだけど

そんな思い出を心の中で繰り返す時間って好きだ。

 

 

 

 

 

丸い眼鏡をかけているのが父で

その左隣は父の兄

座っている婦人は

私の祖母

 

 

大学入学を記念して

新宿伊勢丹にある写真室で撮ってもらったみたい。

 

 

 

 

アメリカは明日が父の日

バッキーが務める会社では

各店で父の日のディナーを設けているので

今日はそのお手伝いに行ってきます。

 

日本の皆さん

 

ハッピー ファーザーズデー

 

 

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サテライトマップで遊んだら

2020-01-12 | 日本の家族

グーグルマップを使って高知に行ってみた。

 

地図を徐々に拡大して行くと

あったぁー  私の高校

 

 

 

高校の建物の上に指を置き軽く押すと

数秒後にスクリーンの左下に画像が出て来る。

それをタップすると

あーー

出て来る 出て来る サテライトフォト 

 

 

高校の建物に近づいていくと

すっかり綺麗になってしまい

時計台がなければ母校とは分からなかっただろう。

 

指を使ってスクリーンにある高校の前の通りを進んで行くと

隣に立つ私立の女子中高が出て来た。

 

明治生まれの祖母はその女学校に通っていた。

 

私が通っていた高校はその頃男子校で

女生徒が男生徒と通りで一緒になった場合

下を向き男生徒と目を合わせない様にするものだったらしい。

 

 

”それやにね  松本のおばさんは男生徒とすれ違う時に

顔をあげて生徒の顔を覗きみるがぞね。”

 

祖母が言う松本のおばさんは女学校以来の友人。

 

小学生の私を連れ祖母はよく松本のおばさんを訪れてもいた。

 

祖母と比べハイカラで小奇麗にもしている方だったけど

祖母と同じように苦労もされていた。

 

 

ある日 大人の会話に退屈した私に

 

”イジーちゃん 目は口ほどに物を言う  って知っちゅう?”

 

と 松本のおばさんが私に言い

心を見通された事にドキリとした事も思い出される。

 

 

祖母と60年近く友達だった松本のおばさんは

祖母がこの世を去った日、祖母が最後に会話を持った人でもある。

 

私が中学3年だった3月3日

入院していた松本のおばさんのお見舞いに行った祖母は

その帰り市電にはねられ亡くなった。

 

 

お葬式の日だったか私は松本のおばさんに言われたんだ。

 

”私の見舞いに来てくれたおばあちゃんはあの朝

この頃のイジーちゃんはおばあちゃんと喧嘩ばっかりすると

困っていたぞね。” 

 

と、、、。

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1か月かけ届いたカードとハワイに行く娘

2020-01-10 | 日本の家族

木曜日、イリノイの家に帰りつくと

日本の従姉からクリスマスカードが届いていた。

 

古い住所宛てだった事から日数をかけやっと到着。

 

 

カードの中には昭和34年に写された白黒写真が入っていた。

 

 

S34,4,5と書かれた年月日が父の筆跡に似ている

 

 

写真に写っているのは

私のいとこ3人とまたいとこ2人に2歳の私だ。

 

皆が見つめているのは誰なんだろう

人物写真を見るとその視線の先が見たくなる。

 

 

 

子供の頃の思い出には

彼らとの時間が大きな部分を占めているので

そんな思い出と一緒に懐かしく写真を眺めた。

 

面白い事に2歳半の私が今の自分と同じ雰囲気を持っている事

自分の心を素直に出した表情が何とも良くて安心する。

 

昔に想いをやりぼんやりしていると

コロラドに住むミックママ(姉)からスナップチャットで短いメッセージが届く。

 

 

”私たちハワイに行く事になったの”

 

えーーー

 

確かに医者から国内線での旅の許可は下りてはいるけど

おりたばかりだし

何も海を越えたハワイまで行かなくとも、、、

そんな事をまず思う私に

ミックママがハワイ旅行をする事になった事情を話し始めた。

 

旅の招待をしたのはミックママのお義母様。

 

ご両親の遺産を使いお義母様の母親が好きだったハワイに

家族15人で行く事になったらしい。

それも子供たちの春休みを利用して今年の3月に行くと言う。

 

 

 

 

この古い写真を送ってくれた従姉と数年前

ハワイで落ち合う計画を立て始めた事があったので

余りの偶然にその話も思い出した。

 

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木箱の中の想いでの品

2019-02-02 | 日本の家族

 

1日中パジャマ姿で過ごした木曜日

 

引き出しの中の整理をし不要な物を処分


この日の収穫 ごみ袋一つなり

           

ニックママがペイントしてくれた箪笥には


いまだ取っ手がついていない


サイズも合い、気に入ったデザインで、、安価な物、、、と


3拍子揃った物がなかなか見つからないからだ。


開け閉めは出来るので、このままで使っていきそう 


引き出しの中で眠っていた刺繍ふきん発見 


可愛い鳥の刺繍を毎日目にする為



鏡の上にかけた。 

 


引き出しの中にあった木箱には


写真や手紙、新聞の切り抜き他が入っていた。





ホッチキスでとめられた10枚近い便箋は


3日間にかけて父が書いた私宛の手紙だった。

 

 

手紙の内容がすぐに思い出せない事もあってか

 

今までも何度か


封筒を手にする度に読み直している。

 

毎回 感情なく淡々と目を通す。

 

手紙は父の逃亡計画 を私や他の者たちに反対され


残念がっている内容が主だった。


あっ、逃亡と言っても刑務所ではなく


精神病院、、、です。、、、一応付け加え 



父の逃亡計画はその時始まった事ではなく


私が小学時代にもそんな話をよくしていた。



祖母と父の面会に行ったある日


”鉄格子を切る為次回はナイフを持って来てくれ“


祖母に頼んでいた事も思い出される。

 

ナイフで鉄がきれるのかなぁー

 

そんな疑問を持ち


天井近くに作られた小さな窓を見上げた自分も


その日と一緒にかえってくる



闘病生活の長かった父からそういった


常識のない言動は多かった


それに対して私を含めた周りの者は心を傷める事もなく


呆れたかのように受け取っていた、、と思う。




木箱にあった40年以上前の新聞の切り抜きには


”幸せが掴めそうなり八卦の灯”


と言う父の川柳が載っていた。

 


占いが好きだった父がその結果に


幸せをかいまみ

 

希望の光を見たその瞬間が 


鉄格子のかかった小さな窓と一緒に


目の前に広がる


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小さなサプライズ

2018-12-14 | 日本の家族


子供の頃五右衛門風呂のある家で育った。


五右衛門風呂と言うのは

直火で温めた湯がはった鉄製の風呂釜

その上に板が浮いていて

入浴時にその板を足で底に沈めて入る。




風呂釜は鉄製なので触ると熱かったように記憶する。


その風呂釜で祖母と二人で入浴する時間




”今晩はどんなお菓子やと思う?”
  と

祖母に訊かれ







”マーブルチョコレート” と

はずんだ声で一番好きなお菓子の名を私が言う。






お風呂をあがって部屋に戻ると

祖母が引き出しからお菓子を出し

鉄腕アトムのイラストが入った

  丸い筒状のマーブルチョコを手渡してくれた。






そんな日を思い出しながら

けいちゃんたちを学校に迎えに行った今日

小さなアイスクリームを二つ買い持って行った。




けいちゃんの好きなクッキード~  
 

タイニー Tinyサイズのアイスクリームの蓋の裏には

  小さなスプーンがついていて

それを見つけては大喜びのけいちゃん  ^0^ぷぷぷ







ピーナツバターが好きなカメ君には

    ピーナツバターカップ








小学生だった私の心を躍らせた小さなサプライズ


 


   同じように 二人の心をかきたてた。


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想い出すのは、、

2018-07-17 | 日本の家族

木曜日から旅に出ていたニックママも日曜の午後帰宅


アイオワに数日滞在していたバッキーもイリノイの家に帰った。





”けいちゃんやカメ君との時間は楽しかったぞ。”  と

この数日を振り返り心も満たされたかのようにバッキーが言う。





毎日皆で家の掃除や庭仕事などもし

映画を観に行ったり カイヤっキングや釣りに行ったり

  そんな遊びも毎日入れて数日を楽しんだ。






日曜日はラジコンボートやカイヤックを持ってダムの近くまで出た。




このラジコンボートは大人も楽しめる程スピードも出る。

100ドルしたけれど その価値あり





白いしぶきをあげているのがラジコンボート  ↑

 



この日は気温も28度と過ごしやすい上 

 木陰では風も吹き抜け

 
そんな中で横になっていると

 子供の頃の記憶がよみがえった。






祖母と私は高知市の住宅地に建つ曾祖母の家の離れで暮らしていた。

背の高い隣の家との間に狭い通路が出来ており

門を入りその通路を通って離れに行くようになっていた。





陽が当たらないその通路は風も通り抜ける事から

暑い夏の日は

そこにゴザを敷き過ごした事だった。






祖母との生活は家電を殆ど使わない暮らしで

冷房は勿論扇風機もなかったけれど

想い出すのは厳しい夏の暑さでなく

あの心地よい風、、ひんやりしたゴザの感触、、、だ。

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日本の家族から連絡があり、、

2018-05-14 | 日本の家族


久しぶりに日本からメールを受け取った。


何を食べたのかも記憶にないという母は

足腰も弱り病院のベッドを家で使っていると知る。



小さくなった母の姿と

 母の介護をする家族の姿が広がり

私にも何かお手伝いが出来ないか、、と思い

日本に帰る事を考え始めた、、、けれど


私が寝泊まりする部屋はそこにはなく

  余計に気を使わせてしまう、、、


かと言ってホテル暮らしをするほどの余裕もない、、、


そんな事をあれこれ考えていると


Goo友達のその日のブログに載った地図で

日本の家族が住む町と

 日本を去ってからも毎年連絡を取ってくれる

  ただ一人の友人が住む町が近い事を知る。


彼女の家なら寝泊まりさせてもらえる、、、


   などと一人で勝手に思っているのだけれど、、、、



二家族にとってベストな時を選び

  帰国してみようと思いはじめた。



85歳の母の写真を久しぶりに見て


 

     綺麗な色をした白い髪の毛に気づく。





イラストは アメリカのイラストレイター Mary Engelbreit の作品


 昔使っていたカレンダーのページを切り抜いて取ってあった。


何とも心温まるイラストの多くは

  良く知られたquotesも添えられている。

彼女の日めくりカレンダーはお勧め

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    ハッピーマザーズデー