”家具を見に行こう” と日曜の朝バッキーが言い出し1時間ほど先の町に行く事になった。
助手席に座った私は道中、窓に流れる景色を追いながら祖母を想った。
3月3日の日曜日が祖母の命日だったから。
一番に思い出されたのは、祖母が事故にあって亡くなった話を校長先生から聞かされた日の事だ。
中学3年の卒業遠足は祖母がお嫁に行った先の街だった。
その街に祖父や戦士した叔父が眠ってもいた。
遠足先だったその街から中学校までバスで帰り着くと、
”イジ―さん、校長先生が貴方に話したいことがあると言うので校長室に行ってくださいね。” と言われ
校長室のドアを叩いた。
ドアを開けた校長先生は私の手をとってソファーに私を座らせ、私の膝の上で手を握ったまま
”イジ―さんはおばあちゃんと二人暮らしだったんだよね” と
初められ、そこで嫌な予感がしてきたけれど まさか 祖母が亡くなったとは思いもせず 黙って校長先生の話を聞いていた。
祖母が亡くなった事を知らされるや言葉のない涙が後から後から出てきた。
放心状態のような様で校長室を出ると、廊下に立っていたバスケ仲間の友人が私を見るや泣き出した。
それを見て私はまた泣き崩れた。
でも泣いたのはそれっきりで
横たわる祖母の遺体を見ても涙はこぼれなかった。
担任の岡林先生と別の学級の先生が祖母と暮らしていた家まで車で私を送ってくれた。
すると、どこから祖母の死を聞きつけたのか、創価学会の人がお仏壇を取りに来た。
2階の押入れに入っていたその仏壇を婦人に返した時
”祖母は迷惑をしていました。” と失礼な口調で婦人に言った。
創価学会で救われるかも知れないと思った父が家に持ち込んだ仏壇だったのだろうけど 祖母がその宗教を嫌がっていたのを知っていた私は仇でも打つような思いできつい口調で言った。
次に思い出されたのは
”はしか”に罹った幼児期、祖母が私をおんぶして暗い庭を歩いていた様子だった。
そうして毎年、中耳炎に罹る私を夜も起きて看病してくれた日のことなどが思い出された。
大切に育ててもらった事を思い出していると
小さかったけいちゃんとカメくん ↑ の子守をしていた頃に思いが返った。
二人の世話をしていた自分の側に亡くなった祖母もいたようにさえ思え涙が溢れてきた。
”おばあちゃんの優しさは、私の孫にも伝えることが出来たと思うよ。” と感謝した。
🛻 🛻 🛻 🛻 🛻
バッキーと家具屋に行く前にランチを取ることになった。
寄ったレストランは寿司やラーメンがメニューにあったけれど、怪しそうな店に感じ、好きなサーモンはオーダーせず野菜巻きにしたのだけど、サイズが大きくて太巻きを思わせた。
”具は違うけど、おばあちゃんがよく作っていた太巻き寿司や” とバッキーに話すと
祖母の命日だったこともあって
”オマエのおばあちゃんが一緒に来てくれてるサインかもしれんなぁ” と言う。
その店は 今まで行った店の中でもトップ中のトップに登るほど最低な店だったけど家具屋ではいい買い物が出来た。 😁
この日の夕飯はステーキとエビ😁