恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

イエスマンに非ず

2005年09月17日 | 所感とか
本格的に変革しつつあるバイト先の今後を憂うべく、
社員を除くバイトが居酒屋に集結し、今後の方策を協議。
午後9時から開始だったのですが私は10時まで勤務だったので途中参加。
で、行ってみたらちょうどラストオーダーだったという悲しい状況でしたが、
終電までの僅かな時間、皆様より様々なお話を聞くことが出来た、かな?
肝心な部分を聞き逃していたので、この話し合いに参加していた方、
この辺の話を要約して私にお知らせくださいませ。
で、これに関していくつか。

例の改革者は私から見るに、自分の意のままに動く人間を重用し、
意に反することを言う人は遠ざけようとする傾向にあるように思えます。
彼はおそらく自分のやり方にプライドを持っているのでしょうか、
今まではこういうやり方でやってきました、というのは一切顧みません。
即ち自分には自分のやり方があるのだからそれについてこいってわけで、
ついてこないものはすぐに辞めてもらってかまわないというスタンスですね。
悪い面があればそれを糾すのは当然のことでありますが、
今まであった良い面までも全否定してしまうというのは如何なものかと思います。
私としてはその辺の風土というものを理解して、よりよく改革して戴きたいのですが、
彼の考え方はいささか独善的というか急進的な面が多すぎるわけですね。
だからこそ多くの人間が反感を持ってしまう、と。

そうした人間に対してはやはり苦言を呈す人間も必要です。
私はは正面切って文句を言うことが苦手な人間なので、
こうしてここで愚痴ってはいるものの、実際にはついつい良い顔してしまうので、
彼にとっての私は意のままに動かせるイエスマンに映ってしまっていることでしょう。
そのためか私よりも先輩で比較的彼に苦言を呈するバイトの女性などは、
彼にとっては目の上の瘤と言わんばかりに冷遇されている気がします。
普通なら指示を出すのは私ではなくその先輩にするのが筋なのですが、
最近はなぜか私にばかりそうした指示を出してくるのですよ。
原因を鑑みるに、先に述べたような自分の意に異を唱えず追従してくるものは重用し、
自分にとって煩いことを言う人間は邪魔者という認識からのことなのでしょう。

そのような人物というのは私が言うのもなんですが、
器が小さいのではないかなぁと思ってしまいます。ある種の反面教師。
自分に甘言をもって接してくれる人ばかり重用し、
実際には正しいことを言っていても自分の意に反せば冷遇する。
歴史に例を見てもそのような人材の使い方をする君主は、
必ずと言っていいほど衰退し、滅亡へと向かっていきます。
三国時代の蜀の劉禅や呉の孫皓などなど。
真の主従関係(ここでは労使か)とは自分にとって痛いアドバイスであっても、
それが大局的に見て筋の通ったことことなのであればそれを素直に聞き入れ、
下手なプライドや意地を張るということはやめるべきであろうと思います。
自分にとって聞こえの良いことばかりいう人の意見を聞き、
そうでない者の意見には耳を貸さないのでは真の改革は行なえないでしょうな。
ましてや旧勢力をうまく取り込むことなんて到底できっこないわな。

以上のようなことが現在の変革に対する不満の一端であると認識しています。
しかしまぁ私も腹黒いやつですな。
妄信的に私を信頼しても良いことはないってのにね。
この店も長いことはないかもしれないなぁと思ってきた昨今の所感でした。

恐懼謹言。
コメント (1)
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