恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

公園における道徳退廃

2005年09月27日 | 所感とか
大学の裏に小さな公園があります。
私はその公園を頻繁に利用するということはないのですが、
ちょうど通学路にあたる部分でもあって、しばしば公園内を通ります。
その公園は隣に幼稚園がありまして、都心にある幼稚園のためか、
幼稚園には園庭がなく園児が遊ぶ場所としても公園が使われています。
当然ながら公園としての性格のほうがメインであって、
仕事の途中に一休みするサラリーマンや、授業の合間に休憩する学生も見られます。

で、問題なのはその公園の利用方法。
最近の戦後民主主義によって育まれた若者(私もその一人ですが)の、
公共の場におけるマナーの悪さのことについてなんですね。
たまたまその公園で私も今日はゆっくりしていたのですが、
向かい側にいる見るからにダメな感じの学生が数人おりまして、
なにやら近くのコンビニで買ってきたと思しきカップ麺で食事してるんです。
まぁここまではいいんです。ただそのマナーが問題。
カップ麺のフタをあけてはすぐ横にあるゴミ箱に捨てずにその場にポイッと。
数分後、食べ終えた後の汁の入ったカップはさすがにゴミ箱に捨てるだろうと思ったら、
やはりこれも先と同じようにその場に放置。
もちろんドリンクのペットボトルも飲み終えたらその場にポイッ。
おまけに食後の一服とばかりにタバコを吸い終えると、
灰皿に捨てることもなくその場にポイ捨てときたもんだ。

さすがにこの様子を見てると何となく腹立たしいというか虚しい気分になります。
そのダメな若者の中には女性もいたのですが、
その女性はそんな事をする男に対して見咎めることもなく、
愉快に談笑しており、まったく気に留める様子もないんです。
この日本という国の道徳・モラルというものはどこにいってしまったのだろう。
そんなことを風で飛ばされていくヤツらが捨てたゴミを見ながら考えていました。
もちろんここが普通の公園であってもそれが容認されるわけじゃありませんが、
ましてやここは幼稚園児の遊び場ともなる公園です。
そんな場所で平然とタバコを吹かし、ゴミを撒き散らかすという行為に何も感じない、
というのは私の感覚からすれば常軌を逸したものといわざるをえません。

ゴミはゴミ箱に捨てる。こんな簡単なことがなぜ出来ないのか。
今までの人生の中で私が完璧にそれを守ってきたとは言えませんが、
今回の場合は真横にゴミ箱があったりするわけで、
そこにゴミを捨てようとするにはちっとも労力はかからないわけです。
しかるに、彼らにはそういった意思がないわけですね。
若者の道徳退廃。自由とわがままを区別できなくなってしまった、
そんな若者で溢れるこの国の将来はどうなってしまうのか。
なんてことを考えずにはいられない一幕でありました。

一番悲しかったのはその馬鹿どもが「さて、そろそろ授業に行くか」
と言って、私の通う大学の中へと入っていったことかもしれません。
あんなヤツらと同じ大学に通っているのか…。
私の悲哀にさらに追い討ちをかけてくれました。
そんなヤツらに注意できない私もダメなヤツなんでしょうがね。

恐懼謹言。
コメント (2)
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