恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

月の終わりとともに

2005年09月30日 | 日記とか
バイト6連勤(ひょっとしたら8?)の3日目というわけで折り返し地点でございます。
今日は4時からのんびりできるなぁと思っていたら、
3時に職場から電話。どうやら今日は3時入りだったようです。
どうも疲労がたまっていたせいか、シフトを見間違えていたようですな。
平身低頭、謝罪の限りを尽くして何とか許しを得ますが、
人数ギリギリで回しているだけにご迷惑おかけしてしまいました。
その時間は幸い忙しい時間でもなかったのですが、恐懼に堪えません。
しかしバイト先から電話がかかってくるってのは心臓に悪いですな。
シフトはしっかり確認しとかなきゃ。

さてさて、本日で9月も終わりというわけで、
10月からは人件費削減に伴う大幅な改革が実施されます。
これに対する反発の関係もあって、9月付けで退職するスタッフが3人ほど出ました。
昨日の勤務で最後だったのが2人と、今日で1人。
いずれのスタッフとも最後の勤務をご一緒させていただきましたが、
やはり何となく寂しいものを感じてしまいます。
それぞれ勤務の長さには差がありますが、共に働いてきたという事実は変わりません。
こういうと大袈裟かもしれませんが、いわゆる苦楽を共にしてきた仲なんです。
彼らと会うのはバイト先という限られた場所・時間のみではあるものの、
ある程度の月日を同じ職場で同じ仕事をしてきた仲ということもあり、
今日を限りに会えなくなってしまうわけでもないながら、
一緒に働くことがなくなると思うと寂しいものです。

ひょっとしたら今のバイト先の体制が変わらなければ、
こういうことにはならなかったのかなぁと思うと、
新参の改革者に対しては憎悪の念を抱かないでもないのですが、
現実がこうなっている以上は彼らを無理に引き止めることもできないし、
やはり最終的には生き方の問題に関わってくるものだろうと思います。
残された我々は大幅に戦力が減ってしまうので確かに厳しい状況です。
しかし、辞めていった彼らもアルバイトという身上。
今の職場に嫌々残らねばならない義務はないわけです。
冷たい言い方かもしれませんが、彼らには彼らなりの生き方をする権利があるわけです。
そしてそれを私も応援しなければ、とも思うわけです。
メンバーの中の1人とは一時期不和になった時期もありましたが、
最後ぐらいはそういった確執など忘れて送り出させていただきました。
不本意ながらに去っていく側もつらいでしょうが、
見送る側というのもこれまたつらいものであります。

別れには涙が付き物かもしれませんが、これから新しい生活をする人を送り出すのに、
涙をもって送り出すというのはちと無粋なものであると考える私は、
冗談交じりに笑顔をもって送り出させていただきました。
ひょっとしたら冷たい人間だと思われるでしょうが、これは私なりの思い。
大事な時ほどグッと堪えて涙は見せない、という男の美学かもしれませんが。
そんなことを思う間もなく明日からも無常に働きつづけねばなりません。
なんだかなぁ。

恐懼謹言。
コメント (2)
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