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飛騨高山御朱印巡り③

2025-02-19 | 御朱印めぐり
まだまだ続く高山の御朱印巡り、ここからは東山の寺院を巡ってゆきます。宮川や高山城趾の東にある山裾に十以上の寺院が並ぶエリアです。金森長近が高山城を整備する際に恐らく防衛上の拠点とするため集められています。御朱印を頂けるお寺が多いので御朱印巡りでは外せません。

まずは雲龍寺から。

720年に泰澄大師が創建した妙観寺を起源とする曹洞宗の寺院です。妙観寺は早い時期に衰退したようで、1395年に総持寺の竹窓智厳が立ち寄り荒廃した寺を修復し、雲龍寺として寺を開いています。飛騨では最初の曹洞宗のお寺で、その後金森長近が子の長則の菩提寺に定めて保護されます。長則は仕えていた織田信忠とともに本能寺の変に巻き込まれて19歳で生涯を終えています。

その後天領となった際に高山城の黄雲閣を譲り受けて鐘楼門としていますがたぶんタイの観光客が結婚式の前撮りをしていて撮影できませんでした。

雲龍寺の御朱印です。


すぐお隣が大雄寺です。

一旦階段で下まで行かなくても移動できる遊歩道があるので有り難いです。

鎌倉時代に証空により創建されたとされる浄土宗の寺院です。元は上広瀬(飛騨国府駅の東)にあったとされますが、1586年に金森長近の命により現在地に移転、高山では最も格の高い浄土宗寺院となりました。山門は1807年の立派なものです。

本堂は1969年に火災に遭い、1971年に再建されたものです。

こちらの雪に半分埋もれた薬師如来は1700年に作られたもので、雪に閉ざされる飛騨ではまともな医療が受けられず、薬師如来の薬壺を削って飲む者があとを絶たず削れてなくなってしまっています。

大雄寺の御朱印です。


山裾を少し歩いて善応寺です。

1558年に姉小路自綱が京の建仁寺に祀られていた如意輪観音像を念持仏として持ち帰り、1558年に松倉城下に創建したのが起源です。1585年に松倉城が落城した際に善応寺も焼け落ちたものの如意輪観音像は運び出され、1662年に金森重頼により曹洞宗の寺として再興され1835年に現在地に移転しています。

1919年に火災で全焼、本堂は1925年に再建されています。「本堂でお参りしてはどうですか」とのことでお参りさせていただきました。如意輪観音像は秘仏となっているそうです。「納められているのはこの辺ですよ」と教えてもらいました。

善応寺の御朱印です。


まだまだ続きます。
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