沢山の思い出。
思えば沢山の思い出があるなぁと、感慨深かったのが、掲示板でした。
講座の削除には、さほど感傷なく取り組めたのに、掲示板には時と、人と、事、があったからでしょう。
さまざまな気持ちが篭るものを削除するには、ある種類の感傷が伴いました。これは確かです。
積み上げられた物が消えて行く、無くなってしまう。寂しい事には違いないものです。
風に飛び散る砂、砂上の楼閣をイメージします。
楼閣は流石におこがましいので、ただ飛び散る砂のみ、風に煽られ何粒か。
明るいサンド、色、イメージ。
そして、私に出来る削除作業は終了したのでした。
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初級編の削除は、専門の方に任せて、削除できる写真だけ消しておきました。
情熱的に講座を作った頃、
講座に興味がなくなったのは、受講者が少なかったこともそうなんですが、自分でパンフレットを配り、呼びかけてみて、手紙や葉書なども送り、広報活動、役場など、係りの方にもお願いしたり、さまざまな活動の中で、友人知人、親戚など、反応がほとんど無い。協力が無い。という反応の無さが、講座終了の動機となりました。
無くなっても世の中何の変化も無い。そんなものです。
いなくなってしまったものは一時寂しくても、それなりに馴染んで消え去ってしまう。そんなものなのかもしれないと感じます。
最初からいなかった、そんな様子になっていくのだろうと思われ、そこにあった砂粒が風で飛んで一時目に映えても、それはいつも見慣れた砂粒の1個。大きめの砂の粒。
風で飛んで目立った、グレイ、ブラック、固そうな石の光沢を持つ固体、それは大き目の砂粒だった。そうだったと脳裏にイメージとして感じただけ。
そうなのかもしれません。