家の紫陽花が綺麗に咲いています。
空梅雨を反映してか、何時もより小ぶりな花に見えます。色づき始めてからまだそう間が無いので、今から大きく開いていくのかもしれません。
それにしても、ついついなんでも心配になってしまうのが親心というものです。子供には煩がられるものですが、あれこれと注意したくなります。それも、失敗して嫌な気分になってもらいたくないからなんですね、やっぱり子を思う親というものです。
私も、若い頃はあれこれと注意をされたものです。何処何処では如何なっているから、こんな時にはこんな注意をするようになどなど。
例を挙げると、駅の利用の仕方。何駅はどの方向に町があるから、降りる時気をつけるようにというような事です。
方向違いに降りて苦労しないように気を回してくれたんです。
これも、自分の若い時の経験から間違いやすさを感じての事です。東京暮らしをしていた経験から、駅の出口には特に気が向いたようでした。
おかげで、私は駅の近辺や、地図の見方など、鉄道の乗継まで、時刻表を見て計画的に利用出来るようになり、間違えた事がほとんどありません。
出口の多さや、方向による違い、路線や連絡時間の取り方、繋ぎ方などに慣れてしまったからです。
地図さえあれば何処にでも行ける。そんな気持ちできました。
これも、若い頃親の煩さに閉口しながら、それなりに聞き入れ従ってきた結果です。
そして、今、やはり自分もあれこれ気づかう親心を持ち、口うるさい事を言いながら、子側の煩くされる嫌気も分かり、あれを言っては間をおいて、これを言っては間を置いて、くどくならないように気をつけながら、子の注意を喚起してやるのでした。
親心はありがたいものであり、煩わしいものであり、そして決して役に立たないものでは無いと、無いようにと、願っています。
「親の言葉と茄子の花は、千に一つの無駄も無い」
古くからの諺のようですが、父がよく言っていました。
茄子は花が全て実になるから無駄が無い。だから親の言葉にも無駄がない、親の言葉はちゃんと聞いた方がよいという喩えだったようです。
私はそこまでくどく言いませんが、親の言葉はちゃんと役に立てて無駄にして欲しくないですね。
「親の言葉と茄子の花は、千に一つも無駄にせず」
をして欲しいですね。