その理由は、靄が恐ろしかったせいでしょうか、それも有りますが、私は子は勿論、自分の身も危険に晒したく無いと思っていました。母の私がこの場所で、確りとした定位置を掴んでいなければ、幼い我が子も先々迷う身となるのです。靄は今現在、未だ私の足元で停滞していますが、この淀みに踏み込めば私は五里霧中、濃霧の中に飛び込んでしまうような予感がしていました。境内に入った時にはくるぶし辺りだった白い靄、5センチ程の嵩と思っていたのに、現在見下ろすとそれは濃度が薄くなり私の膝下まで上り、見下ろす私には30センチ程の高さに思えました。変化した靄の様子に私の不安は否応無く募って来るのでした。
今見えている子の姿さえ見失ってしまうような不安、その距離はそう近くは無いのです。駆け出して捕まえたい衝動に駆られました。が、冷静に、落ち着いてと、私は自分自身に言い聞かせました。
シンとして靄の中に立ちながら、私は子が今いる場所からパタパタと走り出すのを何とか抑えなければなりませんでした。何時ものように急に走り出したら如何しようか、私は不安で堪らなくなるのです。私はその恐れとも戦わなくてはなりませんでした。息子の性質、靄の未知数、私にはどちらも測り難いものでした。時間の経過へ焦りを感じて来ます。と、ここで、私は詳細を書きません。子を呼び返す為にと、私はあの手この手でした。猫撫で声も出しましたし、にこやかな顔付きもしました。子は私の最初の子で、子に対する躾に、私は何方かと言うと厳しく接する母でした。思えば和かな顔等、それ迄長男には見せた事が無かったかもしれませんでした。和かと言うよりも、親愛を込めた睦じい笑顔という物を、私は彼に投げ掛けた事が無かった事でしょう。思えばこの時行った私の態度の変化が、彼に功を奏したのでしょう。子は私のいる場所迄漸くの事で戻って来ました。
その間、やはり靄に隠された地面には起伏や何やかや存在した様子でした。子はよろけたり、反り返りそうになったり、場所によっては彼の腰の位まで靄に浸かったりしました。その時には子供はその儘になるのでは無いかと案じられ、私は思わず子のいる場所へ足を踏み出しそうになりました。ゆっくりゆっくり、大丈夫大丈夫、そんな声掛けをする内に、子は私のいる位置からはもう目前、あと少しという所迄やって来ました。
もう少しです。私は更に和かに子に笑い掛けると、よしよしよく来れたね、と褒め言葉を掛け、彼に不意に逃げ出されないようにと、空かさず確りと彼の片手を取りました。その時、私の脳裏に、この神社の奥に小川が流れている様子が浮かびました。そうです、この境内の先にはせせらぎが有るのでした。私は不安が的中していた事を感じました。やはり子を放って置いてはいけなかったのです。私はこの神社への、靄への恐怖をはっきりと感じました。そうして、私は我が子をこちらへと寄せると、確りと素早く子を包むように我が胸に抱き留めました。私はその儘、よいよいと子をあやしながら、彼を確りと守るように抱っこした儘、出口へと進み、境内からの出口の石の段を下りました。
境内へ入るには一段高く敷居のように敷石が張られていました。神社周囲には、境内仕切りとしてぐるりと石垣、その上に石造りの柵のような物が並んでいました。一般的な神社の造りですが、神社の中の巨木の聳り立つ様は見事な物でした。なので境内の敷地もそれなりの広さがありました。木々は樹齢何千年という人もあり、人が3人で手を広げて抱える以上の物も有ったかもしれません。そんな杉や檜の類が、当時は10本は有った感じでした。しかもその頃には既に伐採された株も境内には出ていました。それ等は切り株として新旧あり、それぞれの形態で撤去されたり存在をし続けたりしていました。存在を続ける中には、古く苔生すとかなり朽ち果てて見える物も有りました。
鳥居を潜り、神社を振り返った私は、我が子と共に無事である事をここの御神体に感謝した物です。深々と合掌でした。
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