今年も12月になりました。
早いといえば早いものです。
今年は忙しかったので、結果はどうあれ充実した年であったと思います。
そして、私事では近頃よく思いだす事柄があります。
昔々の事です。私が幼かった頃の事。
ある日いつものように外遊びから帰ると、家族が留守とは思えないのに、「ただいま」と声をかけても誰も「おかえり」の返事をしないのです。
常ならば、まず母がお帰りといい、母がいなければ父が、父がいなければ祖母が、祖父はいてもめったに返事をするという事がなく、返事は大抵は祖母止まりでした。
それでも必ず誰かが家にいて、全く人がいないという事はありませんでした。
その日に限って、何回声をかけても返事をする者がなく、家に入って見回しながらただいまと言ってもこだまさえ帰ってきません。
階段に向かってただいま、座敷に向かってただいま、廊下へ出て、奥に向かいながらただいま、と本当に此処まで来て返事がない事は生まれて初めての事でした。
そんな家族の気配のなさを怪訝にも妙にも思いながら、遂に家の裏手に迄来ると、庭から父らしい声が聞こえました。
どうやら誰かと話しているようです。
それがはっきり父の声と分かると、漸く家族の声が確認できた嬉しさに、子供ながらに安堵の溜息をつきました。ホッとしたものです。
ただいまと父に声をかけると、これがまた、全くお帰りの返事はなく、父は私の声に気が付きそうな距離にいるのに、全く気付かず相変わらず誰かと話し続けていました。
相手は誰だろうと耳を聳てると、相手の声は聞き慣れた祖母なのでした。
家族が二人も庭に揃って家の外にいるのでした。
道理で家の中が空、返事がないと納得して、また私は二人のどちらからでもよいから返事が欲しいと声をかけました。
「ただいま」
予想に反して、お帰りの声は二人のどちらからも返ってこないのでした。これだけ近い距離なのに、私は失望しました。
本当に妙なことと思うより、外遊びの疲れと、暖簾に腕押しならぬ反応のなさに気が抜けて、私は黙って聞くともなしにその場で父と祖母の話を立ち聞きすることになってしまいました。
確かな話の言葉言葉は覚えていませんが、2人の話はこんな風なものだったと思います。
憎まれっ子世に憚る。佳人は薄命すというから、お前ももう一人じゃないし、段々とでもいいから、嫌な人というと嫌だろうけれど、…、そんな祖母の話だったものです。
そうかなあ、と父、母のいう事だから一理あるのだろうと納得したような、半信半疑なような、半ば反抗するような、理想主義だった純粋な父の若い声が聞こえてきたものです。
幼かった当時の私には分からなかった二人の会話、今は想像することができます。
あまり丈夫とは言えなかった末っ子の父、心配した母である祖母は、あれこれと助言していたのでしょう。人から疎まれたり、嫌われたりすれば長生きできる、そんなことを輸していたようです。その頃の父は妻帯者でもありましたから、いつまでも独身時代のように、ソフトで人当たりの良い好青年でいるわけにもいかなかったわけです。
不思議ですね、近年この場面や、端々しか聞こえなかった祖母と父の会話を思い出してしまう私は、やはり息子を持つ母なのかもしれません。