「また以前の失敗を繰り返すんですか。」
一郎の時に懲りたでしょう。幼い子の前でその親を怒鳴ったり、乱暴したりと、お父さんの怒った姿を見せたら、あの子はその後如何なりました。妻は夫に切々と訴えた。それ迄はよく慣れた、とても可愛い子だったのに…。
「それっ切り。お父さんは勿論、お父さんの連れ合いの私に迄、それはもう、他所他所しくなって…、あの子あれ以来変わりました。始終気を張って、遠慮して…。
「ここを出てからは、今じゃ寄り付きもしない。」
あの子はあれ以降、親に付いた切りだったんですよ。お父さん、今もあの時と同じ、酷く怖い顔してますよ。もしそんな怖い顔で今出ていけば、お父さん、本当にあの子もそれっ切りですよ。あの子も親にくっ付いて、あの孫同様私達祖父母にはもう慣れてもくれ無くなりますよ。…。
「今から思えばあれが境目だったんですよ。親か祖父母か。」
妻は切々と小声で夫に語り掛け、夫の今から行うだろう無分別を諭すのだった。
「一郎の時はして遣られましたが、」
彼女は白髪が増え、顳顬の後退がめっきりと目立つ様になった彼女の夫に訴えた。
「あの盆暗の、お父さんの言葉で言うとですが、四郎に迄、して遣られてしまうんですか。」
「お父さん。」
彼女の語調には、過去の夫の不始末を咎める様な棘が含まれていた。それ迄沈黙を続けていた彼女の夫からは、未だ彼女の言葉に対する返事が無かった。彼は裏庭にいる彼等の息子親子からは自身の姿が見えない位置に注意深く彼の身を置くと、彼の片手を戸口の垂直な材に持たせ掛けた。彼の妻の言葉が彼の心情に相当な影響を与えたのは確実と言えた。
「盆暗、四郎…、四郎が。」
夫が我知らず口にすると、彼女はうんと、ここぞとばかりにキッパリ夫にダメ押しをした。
「私は嫌です!。」
「あの孫に迄愛想尽かしされるのは。私は嫌ですよ、お父さん。」
今庭にいる、…この家に今いる孫に迄。…お父さんも…。妻は淡々と言葉を続けようとしたが、ここで彼女は感極まった。次の言葉を続ける事が出来ず彼女は涙ぐんだ。
「好きにしなさい。」
ややあって、夫は普段通りの声で彼の妻にそう言うと、やおら土間に下りていた彼の両の足を高々と上げて母家の廊下へと戻った。彼はその儘その足で勝手口を離れ、スタスタと台所の廊下を進み家の座敷へと戻って行ったのだろう。廊下から彼の姿が消えた。家の勝手口には老いを迎えた妻が1人ひっそりと取り残されていた。
やれやれ、感傷的になった自らの気持ちを引き立たせる様に彼女は口にした。未だ頬を伝う涙を着物の袖で拭うと、彼女は矍鑠として両手で着物の乱れを整えた。気を取り直し、サバサバとして顔を引き締めると、彼女はよいせと高い敷居から彼女の足を勝手口の土間へと下ろした。庭の様子は如何なっているのだろうか?。彼女は注意深く外の様子を窺った。