夫は常に自分には愛想が良い、愛妻家の鑑の様な人物としてこの長年来たものだ。だと言うのに、一体如何したというのだろうか、何だか何時もと勝手が違う…。妻は夫の様子を不審に思った。
「子は可愛いものでしょう。」
細々とした声で、遠慮勝ちに妻は夫に念押ししてみる、が、夫から妻への同意の言葉、相槌等は全く返って来無かった。彼女は再び同じ言葉を夫に掛けたが、結果は同じだった。彼は黙した儘身じろぎもせずにそこに立っていた。
妻は夫のそんな様子を見詰め、やや考えていたが言った。
「あなたは子供が可愛く無いんですか。」
一寸言葉尻に批判めいた響きを効かせてみる。すると夫の表情が心持緩んだ様子に見えた。彼女は気持ちを強くした。そこでこの機に自分の立場を常の優位な状態に戻そうと奮起すると、そうなんですね、と断定する様にきつい感じで言った。
「いいんだけど…、」
夫はやや低い感じの声で、彼の妻に普通の調子で答えた。
「お前さんがそう思うのはお前さんの勝手だがなぁ…、」
まぁと妻は驚きの声をあげた。「それではお父さんは、」、と、彼女が言う言葉を彼は手で遮ると言った。
「私の気持ちは違う。」
彼は考え方もお前とは違うと思う。と付け加えると、妻の真意を見極めるとでも言う様に彼女の瞳の奥をじいっと覗き込んで来た。この時、彼の胸の内には沸々と先程の怒りが蘇って来ていた。
「親も馬鹿とは、何であの子の為に、私迄馬鹿扱いされるんだい。」
「あの子の方はそれで私の方にも異存は無いけどね。」
合点が行か無いなぁ、私は。彼は嘯いた。彼はまた先程の目を小さくした顔付きに戻った。あらあら…。彼女は内心冷や汗を掻き始めた。
『もう、気の合わ無い父子だよ。それは分かっているんだけど…。』
ここまで来ると彼女も、自分には訳の分から無い夫の言動に大概腹が立って来た。昔からこの親子の間に入ると彼女は碌な事が無かった。『親や妻じゃなければ、誰も付き合わ無いという物だよ。』彼女は内心ぼやいた。これも世の柵と言うものだ、辛抱辛抱、我慢が大事、家庭内円満を心掛けなくちゃ。彼女は自分に言い聞かせた。