後に続いた私に、父のその背は何だか自分の子供に対して失望したというような、がっくりと来て意気消沈したというような様子を感じさせました。その背はすっかり肩を落としていたのです。それは幼い私にさえ父の失望を十分に読み取らせる事に成功していました。どうやらと、私は父に対して何かしらの失敗をしてしまったのだという事を悟りました。あまつさえ、父の後姿はぶるっと身震い迄したのでした。それを見た時の私は胸に暗雲が湧くという状態になり悪い予感がしました。しかし、そんな予感で暗くなる自分の気分を自身で引き立てると、私は明るく父に遅れまいと帰途に着いたのでした。
その後2日程は、私の悪い予感は将に的中していました。父は私の世話を母に任せっきりにして自身で行おうとはせず、顔も私からは背けるようにして出来るだけ私の側から遠ざかっていたのでした。そんな父に祖父母が事情を聞いて取り成してくれたらしく、父はその内何時もの状態に戻って来ました。4、5日するとまた私達は父子2人で近所への散歩に出るようになりました。そして、父は前以上に注意深く子である私の状態を観察すると、あれこれと動物の名前や習性など教えてくれる様になりました。
父の教えてくれるのは主に近隣の自然物でした。草花は勿論、身近な動物であるモンシロチョウや雀など、父は散歩の途中でほらほらと言いながらその存在している場所を指や手で指示してくれるのです。が、植物はともかく、小動物になると私の視覚にはまだその姿形が映らない事が多く、まだきちんと捉えられないんだなぁと、自分の親の言う通りだと合点すると、父は独り言ちていました。
私が既に憧れていた蝶も、花の上にいても見つける事がなかなか出来ないでいたのですが、それは父が我が家の親の先達に習った通り、私に取って花と蝶の区別がまだきちんと認識出来る状態になっていなかったからの様です。蝶が花の一部、雀は土の一部に見えたのでしょう。又は父にそれと教えられてから私が見た時には、もう花や地面から彼等は飛び上がり居なくなっていたのかも知れません。私の反射能力が鈍かったのでしょう。私にすると父がほらという物が何なのか分からず仕舞いになり、そんな事が続くと何だろう?という疑問だけが後に残り、すっきりとしない気分のまま悶々としたストレスだけが溜まるのでした。とうとう有る日の散歩の何回目かの父のほらに、私は示された場所も見ずに癇癪を起して、何かわからない、と泣き喚いたりしたものでした。
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