「そんな話があったなんて、私は初耳です。家内に確かめてみます。」
光君の祖父が真顔でそう言うものですから、蛍さんの父と祖父もこれはと看護婦さんの話の方が眉唾物じゃないのかと感じました。
何しろ光君の祖父の性格が、歯に衣着せぬ言い方をする真摯な人柄という事が分かっていましたから、言葉の通りで嘘はないと思えたのでした。
それで、と、光君の祖父は再び口を開きました。
「何故この病院に来られたんです?一旦お家に帰られたのではないのですか?」
わざわざこんな遠い病院まで来られなくても、お宅様は街中の方、お家の近くに良い病院が沢山おありでしょうに、
「私の方が不思議に思っていたのですよ。こんな田舎の家の隣の病院で、昨日の後、先程初めてお会いしたのですからね。」
孫の光の方は大層喜んでいましたが、私にすると驚きでした。あの後ずーっと入院しておられたのだそうですね。家の子のせいだったんでしょうか?
「どうしてもっと早くに申し出てくださらなかったんです。」
こちらでも誠心誠意事に対処いたしましたのに。と、ここ迄一気に言うだけ言うと、光君の祖父は肩を落とし、蛍さんの病室から出て行こうとしました。
こうまで言われては、こちらが誤解していたのだと蛍さんの父も祖父も気付きました。酷く極まりが悪くなり頬も赤らんで仕舞います。
「いやいや、こちらに誤解があった様です。真に申し訳ない事です。失礼致しました。」
出て行こうとする光君の祖父の背中に慌てて言葉を掛けて、蛍さんの祖父は、
「本当に申し訳の無い、どれ私にお宅様の坊ちゃんのお見舞いに伺わさせてください。」
と明るく先方の気を引き立てるように言うと、光君の祖父と同行して蛍さんの病室を後にしようと、彼に続いて廊下へ出ようとしました。
それを手振りで軽く制して光君の祖父は言いました。
「いえいえ、それには及びません。孫はまだ治療中でしょうし、私も家内に先程の事の真偽を確かめてみますから。
この場はこの儘少しお暇させてください。」
そう寂しく笑って言うと彼は病室内に深々と頭を下げ、その背に疲労感を漂わせて蛍さんの病室から姿を消したのでした。
「返って申し訳の無い事をしたんじゃないか。」
あんな生真面目な人につっけんどんな言い方をして、だからお前は早とちりなんだ。と、蛍さんの祖父は息子を叱ります。
「だっておとっちゃん、おとっちゃんだって看護婦さんの物言いを聞いただろう。」
そう蛍さんの父は弁解するのでした。
「誰だって、変な事になっていると思うじゃないか。」
「そうなっていなかっただろう。」
そう蛍さんの祖父は息子の言葉を打ち消すと、ぷいっと息子から顔を逸らし、窓辺に歩いて行って病院の中庭を見下ろし気晴らしを始めました。
が、それでも気が晴れなかったのか、到頭病室からふいっと姿を消してしまいました。