2016,11.27(水)(ラムチェ村1日目)
11/27、28、29と2泊3日で、筋田さんと同居していた子たちの生家のあるラムチェ村に行くことになりました。
この日にちだけがアシスくんに空きがあるようです。
私はもうず~~っと前からラムチェ村のお父さん(buwa)、お母さん(ama)に会いに行きたいとアシスくんにリクエストしていました。
ラムチェ村にはフランソワーズとエディさんも一緒。彼らは2015年以来、私は2年ぶりの訪問。
長男パンネくんの車で送ってもらい、三男アシスくんがラムチェ村に留まって、村のボランティアの現状などを見るための案内をしてくれることになりました。
アルニコハイウエイをバラビシェまで行き、そこから山のラムチェ村まで上がります。
途中のドラルガートというところで野菜や果物を仕入れます。もう何度も紹介したところです。
2015年の大地震から4年半、今にもくずれそう・・↓ でも誰か住んでいるみたいとみんなで心配しながら見上げました。
ここからちょっと先のおいしいお魚のお店に寄って昼食。ここのお魚は小さくて骨まで食べられるように揚げてありとってもおいしかったです。 以前筋田さんと寄っていたお店とは別のお店。(お魚のあるところを写せばよかったのですが・・)
以前の学校・メールダラ(フランソワーズとエディさんはカリカチャーと言っていた)に行く時の町を通り過ぎ・・
寝具・雑貨・衣料等を多く扱う町も通り・・
大地震のがけ崩れでたくさんの人が亡くなった村のあたりも通り・・
やっとバラビシェの橋の袂に着きました。ここでも少し買い物を。
パンネくんの用事が済むまでお茶を飲んだりして1時間ほど過ごしラムチェ村に上がりました。
山道は、2年前はまだジープがやっと1台通れるほどでしたが、車2台がすれ違えるくらいの広さにしていました。
ようやくお父さん、お母さんの家に到着。
道路から5~6段さがったところが3Fで穀物や豆などを入れる倉庫、さらに下がったところが2Fでダイニングルームとベッドルームがあります。 その下が1Fで大勢が寝られる部屋があり、少し離れたところにトイレ洗面所があります。
段々畑を利用して建てるのでこうなるのは仕方ないですね。
道路と反対側の2Fベランダ側の眺めはこんな感じ。
自分の家ではないのに自分の家に来たような気分です。
既に15:00過ぎ、お茶を戴いたりしてこの日はゆっくりしました。
ベランダから左の方を見ると牛を使って畑を耕していました。なつかしい光景です。と言っても私が子供の頃の日本ではもう牛を使った農作業はしていませんでしたけれど・・。
夕食はアシスくんが腕をふるってくれました。写真がちょっと・・。
お父さんとお母さんの写真も撮らせて頂いたのですが、これもちょっと・・でしたね!
ダルバートの夕食、写真はありませんがみんなで一緒においしく頂きました。
2019.11.28(木)(ラムチェ村2日目)
朝、目が覚め、外に出ると薄暗いうちからこのおばあちゃんはもうなにか仕事をしていました。
明るくなるとこの草を刈っていました。
このあとアシスくんの家に来ていました。
この草はネパールのほうきを作るための草で、アシスくんの銀杏旅館で使うようにと刈ってくださったのだそうです。ありがたいですね。
朝食を済ませたあと、アシスくんの案内であちこち見て歩きました。
ラムチェ村は、地震のあと大勢のボランティアの人が入って、いろいろなことを提案し、応援をしてくれています。
*その一つがコミュニティハウスの建築(お寺も兼ねる)
ある大学生の団体が30万円、30万円と2回募金を集めてここまで↓作ってくれたけれど、その後その団体の活動はストップしてしまい、そのままになってしまったそう。
そういえば2年前もここまでだったなぁと思い出しました。 私もお寺のことは気にはなっていましたが、問題は資金でした。
※数日後、2016年にお会いしたちょんまげ隊の方々もラムチェ村入りをし、後日話をする機会があったのですが、ちょんまげ隊が何とかしてくれそうな話になりホッとしました。
2016年に戴いたちょんまげ隊の名刺。精力的な活動は“すばらしい”の一言です。
*2番目は旧学校跡。門だけが残っています。
今は空き地になっているけれど、村の人たちで話し合って何かに活用したいよう。
*3番目はヒヨコハウス。
ここでひよこを育てて卵や鶏が売れるようになれば村の人も潤うのでは・・と、泊り込みで応援できるように作ったとのこと。
まだひよこはいません、これからのようです。ここの主もお留守でした。
ネパールは日差しが強いのでひよこ、鶏、人間にもこの建物では少々問題あり。 どうなるのでしょう・・・
途中で小さな鍬のようなもので木を削って作業しているおとうさんがいました。牛が畑を耕すときに使う道具を作っているのだそう。
フランソワーズがタバコをお分けし少し休憩させていただきました。
*4番目はコーヒー畑。
コーヒーの木はまだあまり育っているようには見えません。
村人の働く場ができて、少しでも生活が潤うならとボランティアの人たちと村人が共同で始めた事業なのだそうですが乾季は雨がほとんどないのと、ヤギなどが食べてしまったりするそうでなかなか思うようにいかないようです。
*5番目は新しく出来上がったという学校です。
学校帰りの子たちに会うと手に持っているものを見せてくれました。
前に見ていたので牛が使うあの道具!とすぐに分かりました。自分で作ったのだそう。
ネパールでは女の人がよく働きます。 竹を切り出し垣根や畑の柵などに使うようです。先に見たひよこハウスの壁部分も竹で作られていました。
まもなく新しく出来た学校到着。
一段下の畑でゴムとびをして遊ぶ女の子たち。なつかしい!
建物は2棟あり、1棟は教室のある校舎。正面からのものがなく、後ろから撮ったもの。
こちらは職員棟だそう。
とにかく立派な建物ができていました。
ところが、先生方も生徒たちもきれいにする・・という意識がないせいか、どこもここもゴミだらけ。新しい校舎が泣いていました。
空き教室の中もこんな具合、日本では考えられないことです。
見学をしたフランソワーズが怒る怒る、なんでこんなに汚いのか! と。
アシスくんを通訳にして先生にそのことを伝えるが、先生たちも汚いのはいけないという意識がないためどうしたものかと気まずそうにしていらっしゃいました。
しばらくお話をして学校を後にしました。
お昼を大分過ぎてしまったので一度アシス君の家に戻り昼食をとり、4:00まで休息時間としました。
16:00からトゥロ・ドゥンガ(英語でBig Stone)まで行きました。フランソワーズは2016年にも行ったので今日はいいと・・・。
パンネくんは予定ではサンガに戻ると思っていたのですが、車の調子が悪いとかでまだ留まっていて、一緒に行きました。
おおきな岩の上では近所のおじさんがコド(粟)の実のゴミを飛ばす作業?をしていました。
私たちのために少し場所を空けてくれました。
家族総出です!
7月頃に来たら段々畑には水も入って緑がきれい、11月のはじめ頃なら刈り取り前の黄色がきれいと・・。
あと一ヶ月早かったら別の景色が見られたかもしれませんでした。
2016年に来た時は知らなかったのですが、すぐ近くに古いお寺があると聞き寄ることにしました。
由緒あるとても有名な寺院だそうです。
隣に立つ大きな木もそれを物語っていました。 日本なら樹齢800年といいたいところですが、ネパールだとどれくらいなのかな??
チベット仏教の地なので祀られているのはブッダのような気がします。
柱や扉の彫り物はネパール独特のものです。
左隣に少し小さな建物があります。トゥリサーティ(三叉の矛)があるのでシヴァの寺院かな? ネパールでは仏教とヒンドゥー教が混在、同じように崇拝していると聞いています。
年2回のお祭りの時は大勢の人がけっこう遠くからも訪れ、狭い敷地はあふれるほどになるそうです。
帰りにパンネくん、アシスくんのお父さんのお姉さん(=おばさん)のおうちに寄りました。
この方は彼らのおばあちゃんではなく親戚の方でおばさん家族と一緒に暮らしているとのこと。耳がご不自由だそうですがとても人懐っこくてかわいいおばあちゃん(失礼!)です。
左がおばさん。 おいしいお茶、ごちそうさまでした。
夕食には近所の方がたくさん見えましたが、このおばさんたちもいらっしゃいました。話は聞こえなくて通じなくてもなんだか楽しくうれしい時間を過ごしました。
私は5年生のソビッツくんと会話? ネパール語がほんの少しでも話せると楽しく過ごせるものですね。
(写真は↑いつの間にかフランソワーズが写したもの)
8:30頃には私たちも部屋に戻り、ラムチェ村2日目が終わったのでした。
2019、11、29(金)(ラムチェ村3日目)
今日はサンガに帰るだけの日。
パンネくんの車はエンジンを取り替えないといけないとかで、結局動けず、あすからラムチェ入りするちょんまげ隊、あさってやってくる岐阜の池田さんグループのために学校をきれいにしておくとそのまま村に留まることになりました。
おとうさん、おかあさんとは名残惜しいけれど次回お会いできるまでお別れです。
アシスくんと私たち3人はたまたまカトマンドゥに仕事に行くという人があり、サンガまで安く行って下さるというのでその方の車に乗り込みました。
8:50分に出発、途中タバコ休憩一回しただけでほぼノンストップ。 銀杏旅館には11:50分に着いてしまいました。
アシくんはその足ですぐに空港にちょんまげ隊グループ10人を迎えに行きました。
あしたはちょんまげ隊と一緒にラムチェ村入り、あさって夜には岐阜から池田さんグループが見えるのでそのお迎えにも出ないといけないようで大忙し。
私たちは3日ぶりにシャワーして、洗濯もして午後はゆっくり過ごすことにしました。
ラムチェ村では水しかなくシャワーもシャンプーも出来ずにいましたので・・。
おいしいお茶も入れて頂き、夕食もおいしく頂き、銀杏旅館に戻ったというのに、我が家に戻った気分ね・・・と言って笑い合いました。
※ 私たちの後にラムチェの学校を訪れた方々はきれいになった学校が見られたのでは?
それは、車が壊れて動けなくなったパンネくんがラムチェに残ることになり、フランソワーズがあまりに怒ったからか(私もホントホントと渋~い顔をしていたからか)、ちょんまげ隊が来るまでに学校をきれいにするとがんばってくれたのだと思います。
・・・と思ったのですが、あとでFBをみると、どうも皆さんがいらっしゃってから皆さんと一緒にきれいにしたらしい・・・ようですね。
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