2011.3/17(木)
朝は4時ころから目が覚めてしまいましたが、起きてもまだ寒いだろうと思うとなかなか布団から抜け出せません。
7時過ぎにやっと起き出し身支度を整え、8時ころ朝食のため1Fのレストランに下りて行きました。
スタッフの顔ぶれも少しだけ変わっていました。 メニューも少々変わって・・・
話をする人もなく、食事が終わるとすぐ部屋に戻り、外出準備です。
今回もたくさんの方にお渡しする写真があるのでその人たちに会うのが楽しみ♪
タヒティチョークでは野菜を売っている人に会えました。 写真をお渡しすると回りにいる人がたくさん寄ってきて、しばらくワイワイがやがや賑やかです。
前回から渡したいと思っていた小さい子供は今日もいませんでしたが、「知っているから渡してやる・・」 と言っているように見えた方にお願いしました。残念ながらまだ皆さんが話す言葉がほとんど聞き取れません。トホホ・・
「私たちも撮って・・」 と身振りで手招きしてくれた人たちの写真も撮りました。次回訪問の楽しみが出来ました。
スワヤンブ・ナートを真似て作ったと言われるストゥーパのあるところを、正確には「kashi・suyambhu」と教えてくれたキランさんはいませんでしたが、2軒隣のお茶屋さんが渡して下さるというので預けました。
アサンチョークの少し手前にある小さなチョークでは写真の子供たちがいて、直接渡すことができました。 子供たちも大喜びだったのですがそのあとが大変!
今日は試験休みということでその他大勢の子供たちが「私も撮って」「僕も撮って」と大騒ぎに・・・ キリがないのでほどほどでお別れしました。
アサンチョークではいつもの女性はおらず、赤ちゃんを抱っこしていた女性のお母さんらしい人がいたので写真を預けました。
ここからラトナパークに向かいました。
前回お渡し出来なかったギャヌさんのお嬢さんとお孫さんの写真があったので行ってみたのでした。
今日はお会い出来ました。 荷物を片づけて家に帰る直前でしたのでラッキーでした。
その近くにあるマハンカル寺院のところで撮ったお父さんとお子さんの写真を近くのお店の人に見てもらったら、「あの人」と教えてくれ、こちらもラッキーなことにすぐお渡しできました。
これでほとんどの人に写真をお渡しできました。
ラトナパークに着く少し手前の歩道ではこんなものも売られていました。
ひよこ 前回聞いたら1羽25ルピーということでした。
アヒルのひな こちらは35ルピーだったかな?
公園で見かけた給水風景。 つい2日前まで私も給水車のお世話になっていたので大変さがよくわかります。 ですがネパールではこれが日常なのです。
水のあるところでは体を拭いたりシャンプーもします。
ちなみに日本でも今回、福島原発が巨大地震の為破壊され計画停電が行われようとしました。 すると色々な企業で困ったことが起こりました。
ネパールでは今回も1日16時間の停電。 一番長かったときで1日18時間ということもありました。 夜は自家発電か蓄電池を使っての暗ーい中での生活です。
普通の家庭にはそれはないのでロウソクを使うようです。 私も夜は早く寝るに限ると毎晩早く寝たものです。
ネパールってそんなところなんです。
慣れているのでそれほど大変とは思ってないのかもしれません。 却ってこれが普通・・と思っているかも! 聞いてみたこともないのでわからないのですが・・・。
話が横にそれましたが元に戻ります。
ラトナパークを横切る小道のジャカランダはまだ枯れ木状態。 いつかこの花が満開のころに訪れたいと思っています。 多分4月の末ころか5月の初めころかも・・
今はまだ枯れ木状態のジャカランダの大木 並木になっているので咲いたら見事だと思うのです。
大通り沿いの常緑樹はほこりだらけ。
落葉樹は芽吹いてきてとてもきれいです。 クスノキ
帰りにパンやさんに寄ってチーズケーキとチーズクロワッサンを買って帰り、昼食としました。 私の好きなスコーンはありませんでした。
2時にネパール語のウルミラ先生とアポが取ってありましたので出かけました。
今日からでもいいというのでさっそくレッスン開始。 ここでも日本の地震、津波のことが話題の中心です。
レッスンは4時に終わりましたが、夕食には早すぎるので一度ホテルに戻ってから夕食に出かけようと思いました。
そう思ったのですがノート整理をしたりしていたらモーレツに眠くなり、横になったらぐっすり寝込んでしまいました。 目覚めたのが何と夜中の11時!
仕方ないので昼の残りのパンとコーヒーで夕食としました。 昼食時、ポットにお湯を貰ったのが役に立ちました。
明日は7:30分発のバスでポカラに移動の予定なので寝坊は出来ません。
朝は4時ころから目が覚めてしまいましたが、起きてもまだ寒いだろうと思うとなかなか布団から抜け出せません。
7時過ぎにやっと起き出し身支度を整え、8時ころ朝食のため1Fのレストランに下りて行きました。
スタッフの顔ぶれも少しだけ変わっていました。 メニューも少々変わって・・・
話をする人もなく、食事が終わるとすぐ部屋に戻り、外出準備です。
今回もたくさんの方にお渡しする写真があるのでその人たちに会うのが楽しみ♪
タヒティチョークでは野菜を売っている人に会えました。 写真をお渡しすると回りにいる人がたくさん寄ってきて、しばらくワイワイがやがや賑やかです。
前回から渡したいと思っていた小さい子供は今日もいませんでしたが、「知っているから渡してやる・・」 と言っているように見えた方にお願いしました。残念ながらまだ皆さんが話す言葉がほとんど聞き取れません。トホホ・・
「私たちも撮って・・」 と身振りで手招きしてくれた人たちの写真も撮りました。次回訪問の楽しみが出来ました。
スワヤンブ・ナートを真似て作ったと言われるストゥーパのあるところを、正確には「kashi・suyambhu」と教えてくれたキランさんはいませんでしたが、2軒隣のお茶屋さんが渡して下さるというので預けました。
アサンチョークの少し手前にある小さなチョークでは写真の子供たちがいて、直接渡すことができました。 子供たちも大喜びだったのですがそのあとが大変!
今日は試験休みということでその他大勢の子供たちが「私も撮って」「僕も撮って」と大騒ぎに・・・ キリがないのでほどほどでお別れしました。
アサンチョークではいつもの女性はおらず、赤ちゃんを抱っこしていた女性のお母さんらしい人がいたので写真を預けました。
ここからラトナパークに向かいました。
前回お渡し出来なかったギャヌさんのお嬢さんとお孫さんの写真があったので行ってみたのでした。
今日はお会い出来ました。 荷物を片づけて家に帰る直前でしたのでラッキーでした。
その近くにあるマハンカル寺院のところで撮ったお父さんとお子さんの写真を近くのお店の人に見てもらったら、「あの人」と教えてくれ、こちらもラッキーなことにすぐお渡しできました。
これでほとんどの人に写真をお渡しできました。
ラトナパークに着く少し手前の歩道ではこんなものも売られていました。
ひよこ 前回聞いたら1羽25ルピーということでした。
アヒルのひな こちらは35ルピーだったかな?
公園で見かけた給水風景。 つい2日前まで私も給水車のお世話になっていたので大変さがよくわかります。 ですがネパールではこれが日常なのです。
水のあるところでは体を拭いたりシャンプーもします。
ちなみに日本でも今回、福島原発が巨大地震の為破壊され計画停電が行われようとしました。 すると色々な企業で困ったことが起こりました。
ネパールでは今回も1日16時間の停電。 一番長かったときで1日18時間ということもありました。 夜は自家発電か蓄電池を使っての暗ーい中での生活です。
普通の家庭にはそれはないのでロウソクを使うようです。 私も夜は早く寝るに限ると毎晩早く寝たものです。
ネパールってそんなところなんです。
慣れているのでそれほど大変とは思ってないのかもしれません。 却ってこれが普通・・と思っているかも! 聞いてみたこともないのでわからないのですが・・・。
話が横にそれましたが元に戻ります。
ラトナパークを横切る小道のジャカランダはまだ枯れ木状態。 いつかこの花が満開のころに訪れたいと思っています。 多分4月の末ころか5月の初めころかも・・
今はまだ枯れ木状態のジャカランダの大木 並木になっているので咲いたら見事だと思うのです。
大通り沿いの常緑樹はほこりだらけ。
落葉樹は芽吹いてきてとてもきれいです。 クスノキ
帰りにパンやさんに寄ってチーズケーキとチーズクロワッサンを買って帰り、昼食としました。 私の好きなスコーンはありませんでした。
2時にネパール語のウルミラ先生とアポが取ってありましたので出かけました。
今日からでもいいというのでさっそくレッスン開始。 ここでも日本の地震、津波のことが話題の中心です。
レッスンは4時に終わりましたが、夕食には早すぎるので一度ホテルに戻ってから夕食に出かけようと思いました。
そう思ったのですがノート整理をしたりしていたらモーレツに眠くなり、横になったらぐっすり寝込んでしまいました。 目覚めたのが何と夜中の11時!
仕方ないので昼の残りのパンとコーヒーで夕食としました。 昼食時、ポットにお湯を貰ったのが役に立ちました。
明日は7:30分発のバスでポカラに移動の予定なので寝坊は出来ません。
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