井上ひさしの 『四千万歩の男』 の伊能忠敬がその一歩目を踏み出した
の何時だったのだろうか、 読み直してみたいと思います。
Wikによると、寛政十二年閏四月十九日=1800年6月11日。 寛文元
年十二月朔日=1662年1月20日、は 『天地明察』 の渋川春海の第一歩。
今夜、官庁前抗議行動の行き帰りの電車のなかで、その辺まで読みました。
案ずるより産むが易し、で読みだすと面白いのです。 勿論案じた通り和算に
関するところは分からず飛ばし読みで通過しています。 それにしても当時(江
戸時代)の数学(算術と称していたようで)の能力の高さは、世界的な水準に
あったのではないでしょうか。
江戸という都市の人口が世界のトップクラス(下記参照)であった以上、それ
を支えた建物・道路・橋などの建造物の造作修繕、物流の管理運営などなど、
すべてに渡って世界トップクラスの数学的見識抜きに成り立たなかった筈です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3
春海は自分の歩測と算術によって算定した当地の緯度が、天測が弾きだした
数値と一致していることに驚愕します。 「己の解答と、天の解答と。その二つが。
信じられなかった。」
天は設問を抱いている、人に解かれることを待ち続けながら、 自然科学の力
をもって解かれることを。 同時に春海の物語が物語っているように、その力も社
会の構造と深くかかわっていることは明白です。
放射能・放射線、そして原発。 それに関して、 鎌倉在住の岡野眞治さんとい
う1926年生まれの科学者が問いかえてくるのも、その問題を前提にしています。
今日という時間が無くなります、明日へ。