渋川春海、幼名六蔵というのでした。
昨日は春海の幼年期・少年期の名前が本にまだ出てこない、と書いたの
ですが、出てきました。
春海が「六蔵!」と呼びかけられたのは、山崎闇斎という、春海に幼時か
ら神道をおしえてきた希代の “風雲児” であると冲方丁は紹介しています。
「六蔵!」に続いて 「改暦の儀、よう排命したの、どや、怖くて震えんとんの
じゃないかあ?」 と。
春海が徳川幕府の陰の総裁・保科正之から改暦を託され、二十九歳とい
う最も若い春海を責任者にして 「改暦プロジェクト」 が結成されました。
800年間にわたって宗教統制、政治統制、経済統制の要にあった宣明暦
(せんみょうれき)、「800年という歳月によって、術理の根本となる数値がず
れ」 て算術家や歴術家の間では半ば公然と議論されてはいた、と作家は書
いています。。
宣明暦の暦法に従えば、1年の長さは365.2446日。実際の観測による
長さとは僅かであるが1年より長い。1年で0.24日、800年間に2日の誤差
となっている、と。
それを正さなければならない、たかが暦のことと思うなかれ、ということ知る
ためにこの小説を読んでいます。春海の前にどんな困難が現われるか、それ
を若い春海を中心にしたプロジェクトがどう克服していくか、文庫本下を読んで
いく楽しみです。
それにしたも、いわゆる旧暦から現行の新暦へ移るときの明治政府の 「お
粗末な対応」 はどう考えたらいいのだろう。天意も民意もあったもんではない、
というありさまだったと思うのですが。