PCの調不調がよく分からず、昨夜は接続できなかったのが、今日は何の
トラブルもなくつながっているのです。 結果良ければ良いではないか、と思
うことにして、先にすすみます。
一昨日の長谷川櫂さんによる「越後路の章」での芭蕉の句について、あの
“荒海や” の句です。 長谷川さんの言い方をkaeru流に言いましと、こんな風
に問題を出すことになります。
<あなたがある年の8月の中頃新潟県の出雲崎に立っているとします。 目の
前に日本海の波頭、その先に佐渡島が夜の闇の中に見え、頭上には天の川
がかかっています。> その光景をあなたが仮に、
荒海によこたふ佐渡や天の川 と詠んだとします。これは芭蕉の
荒海や佐渡によこたふ天河 と同じ光景です。
長谷川さんの話を要約すると、
<あなたの句は眺められた景色をそのまま五・七・五にしただけです。
そこで、芭蕉は「暑き日を」の句でしたように切れの位置を大胆に変えて、この句を
仕立てた>のです。(「暑き日を」については
日本海に沈む巨大な太陽。 2014-02-03 で再確認してください。)
≪この切れの操作で「よこたふ」の主体は佐渡から天の川に変わり、句もただの風景
の句から荒海と天の川をつつむ壮大な宇宙の句に生れかわりました。
次の市振のくだりでは二人の遊女とのめぐりあいが待っています。芭蕉は二つの七
夕の句から恋の気配をそのまま遊女との出会いの場面につなげたかった。とくに「荒
海や」の句の描く壮大な宇宙の片隅にある市振の宿で遊女とめぐりあいとしたかった
のです。≫
ここで言われている「宇宙の句」とは、天の川から受ける「閑さ」は立石寺の岩に通じ、
その不変を表し、月は満ち欠けし「暑き日」は海に沈み、浪の漂いは天地の変転を示し
ています。 この天地は変転極まりない「流行」であると同時に、不変の「閑さ」に包まれ
ているということが「不易」です。
「流行不易」という宇宙観を、立石寺から月山など羽黒三山、最上川と日本海に沈む
太陽、そして闇の中の佐渡と天の川を通じて、芭蕉は俳諧人生なかで会得したのでし
た。
この「不易流行」の宇宙観が芭蕉の自然観、人生観へと発展していくとき、俳諧の場
において何を解決していかねばならなかったか、長谷川さんは≪この大問題に対する
芭蕉の答えは「かるみ」でした。≫と述べています。
この「かるみ」について、「別れ」をテーマに語られるのが「市振の関」から「美濃の大垣」
までの旅程です。