上の写真の左は昨日のもので、隣りは出雲崎にある「芭蕉園」の句碑です。
出雲崎には芭蕉の句碑はここともうひとつあります(妙福寺)が、そこのは
芭蕉の句(荒海や)単独での句碑ではありません。
アプリが添付している公園と思われるのは「芭蕉園」で間違いないでしょう。
「芭蕉園の句碑」の写真は、全国の芭蕉の句碑をあつめてサイトの「芭蕉園」
の写真で、転写させてもらいました。
(サイト http://www.asahi-net.or.jp/~gi4k-iws/sub85141.html )
芭蕉が出雲崎に向けて新潟を経ったのは元禄二年七月三日(1689/8/17)
その夜は弥彦で泊まり翌四日に出雲崎着となります。出雲崎でのことは着いた時
に触れるとして新潟での話です。新潟に着いた七月二日(8/16)は、当地は祭りの
さなかで、どこの旅籠屋も満員、一部屋に何人も詰め込まれる宿しかななく芭蕉は
困惑していました。見かねた大工の源七の母親が自宅に泊まるよう声をかけてくれ
ます。曽良の随行日記に「大工源七母、情有」と書かれていることです。
金森敦子さんの 『芭蕉「おくのほそ道」の旅』 には市内の寺のこんなことが書かれ
てます。
≪市内の宗現寺と善導寺には、芭蕉が脱ぎ捨てていった蓑を埋めたと言われる「蓑
塚」がある。宗現寺のものは文政十年(1827)の建立。138年も前の蓑が残っていた
とは信じられないし、芭蕉が嵩ばる蓑を持って歩いたとも考えられない。江戸後期に
なると、こうした奇妙なものが各地に建てられるようになるのである。≫