一昨年の10月14日の「つぶやき」に上田の太郎山について書いていました。
太郎山へ愛をこめて。 2012-10-14
この山については、子どもの頃の印象では冬の山肌は常に雪を覆って
いたのです。しかし、帰郷し初めて気になりだしたのは数十年前ですが、
二月の山肌に雪にないことでした。
子どもの頃見慣れた山は太郎山の南側でしたが、昨日案内してもらった
真田町 「地蔵温泉 十福の湯」 はこの山の北側をぬけていきました。私
は初めて太郎山の「裏側」を見たのです。そこは雑木林を雪が覆う冬景色
でした。
同じ山でも南側に見せる顔と北に向いている顔の違い、当たり前といえば
当たり前のことですが。 「こちらでは裏太郎とでも呼ぶのかね」 などと間の
抜けた質問をして、自分でおかしな聞き方をするのものだと感じていました。
以前、私たちが小学校の頃だと思いますが、日本海側を 「裏日本」 と呼ん
でいた時がありました、同じように人口が多く鉄道の走る上田(市街地)を中
心にした見方が浸みこんでいたのかと思います。
狭い郷土主義にとらわれていると、地域全体のことが見えなくなり、一種の
優越感とでもいう感覚で自らの視野を狭くしてしまう。だからといって軸足が
どこに置いているのか分からぬような発想だと、右往左往するだけでしょう。
山の南側にいて北側の姿もきちんと描けることが出来なけれならなかった
のでした。それには北側を見ておかなければならない、たとえ見ていなくても
南側とは違う姿を想像できなければならないわけです。
ふる里の山は、見慣れていただけにそうでない面の存在を教えてくれました。
「ふる里の山は有難きかな」です。