かなり昔になると思いますが、「週刊朝日」の編集長だった扇谷正造さん
の言葉に「一週間は飛んでいく」というのがありました。そういう書名の本
かな、と思って著書名を見ましたがそういうものはありませんでしたので、
あるいはエッセーだったのかもしれません。
“週刊誌の鬼” と呼ばれたとか、Wikiによると「同誌を十万部から百五
十万部に伸ばした」そうで、まさに時間というものの押し寄せる濁流のな
かに立って采配を振っていたわけです。
その言葉はいつも頭のなかにあったのですが、迎える前の7日間と過ぎ
た後の7日間、同じ時間量の筈ですがどうしてこんなに感じが違うのか。
ブログのカレンダーで空白の「15日」、7日前は上田市内某所で兄弟三組
の夫婦と兄の長男夫婦にその愛娘が、美味い酒美味い料理、快い懇談を
重ねていたのでした。
曜日によって区切られていた仕事時代の生活は、一週間という時間量が
生活の1単位であったので、それなりのリズムをもっていました。今はそれ
が無い、ところがカレンダーはどれを見ても一か月を1週間区切りにしてい
ます、7日を1週間にまとめ1区切りにしています。生活のリズムを自分の
ものにするために今の生活実態にあった時間感覚をつくらなければなら
ないのではないだろうか、そんな考えが出てきました。
生活実態は週間からずれているのに、頭は週間制から抜けていません。
それが習慣だからというのは言葉遊びです。「生活と時間」という問題を
基本的に考えなければならないと思いはじめたのです。
その時、「今日という一日をどう位置付けるか、昨日と明日との間に」、
三日間を1単位としたカレンダーを自分用に作るか、とも思います。