凛くんの「春」
最初の春、凛くんは2001年5月生まれ、5月といえが晩春です。その時の
ことを母親の史さんがこう書かれています。
≪凛は2001年の五月、予定より三ケ月早く、944グラムの超低体重児で
生まれた。医師からは「命がもつか、まず三日間待ってください」と言われた。
保育器のな中で、サランラップを巻かれて全身に管を何本もつけた、今にも
消え入りそうな小さい命。それが我が息子との初対面だった。≫
つぎの「春」。これも史さんの文章から。
≪ 四歳の時、カトリック系の私立幼稚園の入園。(略)凛の俳句にときどき「神」
という言葉が登場するのは、幼稚園での教えが大きい。また、この頃、凛はテレ
ビや絵本で俳句と出会う。私や祖父母から、俳句を教えたことはない。だが気づ
けば凛は、自分で思いを指を折らずとも、五・七・五の十七文字で表現するように
なった。凛の口から次々と溢れだす十七文字を、私と祖母は時に驚嘆し、時に涙
しながら、ノートに書き溜めていった。≫
春と嵐、≪凛、ごめんね、ここ(小学校)は、地獄だったよ。≫
母親の史さんは、≪凛が1歳の時に私は教職の仕事に復帰し、≫とありますが、
その人に「地獄」と思わせる学校だったのです。その有り様について多く書かれ
ています。ここでは一人の生徒の「いじめ」と担任の対応を記しておきます。
≪「先生は僕がいじめを訴えても “してない、してない” と受け付けてくれない」
「〇〇が両手の人指し指を後ろからお尻に突っ込んで、毎日僕にカンチョーする」
(この後、母親と祖母は学校ではからずも凛君が〇〇から追いかけられ教員室
に逃げ込む場を出会う、そして担任が「してない、してない」と言うのを聞く)。
子どもが訴えても教師に隠ぺいされては子どもに救いはないと、この時に悟った。≫
ただ、このあと通級指導教室の先生が「私が凛ちゃんを引き取ります」と言われ、1
年生の後半を通学することになりました。
「俳句」と小学校=「自然」を認める目と拒否する「言葉」。
≪毎朝、凛は祖母に連れられて、公園や野原を愛犬を連れて散歩した。草むらの
虫に目を凝らし、飛び交う蜻蛉を追い、朝露を踏みながら団栗の落ちる音を聞いた。
それらは凛の俳句作りの舞台となった。凛が感性のまま言葉を五・七・五にすると、
祖母が携帯メールに打ち込み、仕事中の私に送信してきた。(略)ある時、その俳
句を学校に見せたことがある。その教師の言った言葉は、永遠に忘れることはない
だろう。
「俳句だけじゃ食べていけませんで」。≫
凛君の俳句が「朝日俳壇」に入選するのは、3年生の12月だそうです。
いじめを受けている最中です。そこのところとこの本が出版される経過に
ついて明日触れようと思います。