kaeruのつぶやき

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市振の段=最初の「別れ」、その2。

2014-04-20 22:38:33 | kaeruの「おくのほそ道」

  ノートPCのデイスクの一つに空きがなくなって、二年ほど前上田に帰ったとき

甥に手を入れてもらいその後は何とか差障りなくなっていたのでしたが、それも

限度がきたようで何かと「不調」が重なります。 昨日の不調は今日の好調、にな

る筈がないのですが調子のいいうちにつぶやいておかねばなりません。

 

 さて、「市振の段」の冒頭は「おくのほそ道」ではこんな書き出しです。

<今日は親知らず、子知らず、犬もどり、駒返しなど云う北国一の難所

を越てつかれ侍れば> 幾つかの難所を越えて疲れたので、(早めに寝た

のでしょうか)枕元に聞えてくるのは一間隔てた部屋での話声です。

 新潟の遊女が二人と老いた男の声です。ここまで遊女に同行してきた老人は明日

はふる里に帰るので、手紙などを託している様子。

 

 長谷川先生のテキストに、≪市振で遊女と同宿したこの話は実際にはなかっ

たフィクションです。なぜ芭蕉は話をこしらえてまで二人の遊女をここで出した

かったのか。≫とあります。

 先生の解説をまとめると <仏教において女は罪深く極楽往生ができないと

されていました。そのなかでも遊女はもっとも罪深いものとして考えられてい

ました。芭蕉は「おくのほそ道」を四部分に分けて述べているという先生の見方

については前回紹介しましたが、第3部の「宇宙観の会得」という場から、浮世

に戻った芭蕉は≪ここで遊女を登場させて浮世の旅を象徴する幕開けにしよう

としたのです。≫

 

 さて、その次の朝二人の遊女が芭蕉に同行を頼みます。二人は越後から

お伊勢参りの途中にあったのです。「おくのほそ道」の旅をしていた元禄二年

は20年に一度の式年遷宮の年でした。 彼女たちは昨夜も自らを<白波のよ

汀に身をはふらかし、あまのこの世をあさましう下りて、定めなき契、

日々の業因いかにつたなし>と嘆いていたものです。

<>内意味(角川ソフイヤ文庫・ビギナーズ・クラシック「おくのほそ道」)=白波

のよせる浜の町で、遊女にまでおちぶれはて、家もない漁師の子のように住所不

定の身になって、夜ごとの客に身をまかせては日々を送るなんて、前世にどんな

悪行をした報いなのだろう、みじめすぎる」

 

 ここで、芭蕉が二人の願いを受けて道中を共にする話でしたら、≪単なる人情話で

終っていた≫と先生は述べて、≪ところが芭蕉は、「只、人の行にまかせて行くべし、

神明の加護、かならず恙なかるべし」とそっけなく断ってしまう。この非情な仕打ちに

よって遊女たちのあわれさはいよいよ深まることになる。「哀さしばらくやまざりけりし」

とあるとおりです。≫と書かれています。

 

この段の一句   一家に遊女もねたり萩と月 

                   (ひとつやにゆうじょもねたりはぎとつき)

 

 長谷川先生の書かれていることの概略は以上ですが、この部分の芭蕉自筆の「奥の

細道」の写真をみて「おや」と思ったことがあります。

この写真の下は 『芭蕉自筆 奥の細道』 の「市振の段」の部分で頁の変わった

左側がそうで、上にのせたあるのが同じ部分です。本は 『角川ソフィアヤ文庫・

新版 おくのほそ道』。この違いを一言でいうと、自筆本では

  文月や六日も常の夜には似ず

  荒海や佐渡に横たふ天の川

の二句は「市振の段」の冒頭に位置付けてられています。下の文庫版ではこの

二句は前の段「越後路」の終わりにおかれています。このことにつついては芭蕉

研究の第一人者の上野洋三さんの書かれた 『芭蕉自筆 「奥の細道」の謎』に

かなり詳しくのっていますので、明日紹介したいと思います。