◎ 凛君の入選。母史さんの文より。
≪ 凛の俳句が朝日新聞の「朝日俳壇」に入選したのは、そんないじめの最中
だった。三年の十二月に初入選、大人の投稿に混じっての入選(略)。翌年二月、
四年生の六月、七月に二回と入選を重ね(略)「僕には俳句がある!」と言うよ
うになった。続いて、朝日新聞の取材を受けて記事にして頂いたことが、凛の、
いや家族全員の大きな希望に繋がった。学校には俳句を一切みせないことにし
ていたが、入選のことを伝えた。喜んでくださった担任の先生が、学校でも俳句が
できそうな場面になると「ハイ、一句!」と声をかけ、凛は学び舎でも俳句を詠むよ
うになった。凛が口にした俳句を先生が連絡帳に書き留めて知らせてくださった。≫
◎ 長谷川櫂先生との出会い。
≪ 四年生の時、朝日新聞の招待で俳句講座に参加し、選者の長谷川櫂先生に
お会いできた。(略)先生から優しい言葉とサインを頂いた。長谷川先生との出会
いは、凛には小学校時代の最も誇らしい喜びの一つになった。朝日新聞に先の
記事が載った時は、先生から句を頂いた。
「小さく生まれ大きく育て雲に峰」
リビングルームの額に入ったその句を見ては、親子共々励ましを頂いている。≫
◎ 出版社(ブックマン社)との出合い。この本が出版される経緯について、編集
担当の小宮さんが書かれていますので、そこから。
それは≪~ カニングハム久子先生のこと ~≫という見出しではじまっています。
カニングハム先生とは、昨日の凛君の写真「俳句についいて」に、それを差し上げ
た相手の名前として出ている方です。凛君の祖母・郁子さんの20年来の知人で、
在ニューヨークで教育コンサルタント。凛君の俳句はその先生から大きな励ましを
受けていました。
≪「すばらいい俳句を書く男の子が大阪にいます。一度会ってみませんか?」(略)
その時は正直、興味深いけれど、そういった企画のお話はたくさん頂いており、形
にするのはなかなか難しいのですと出版を躊躇した記憶があります。しかしその後、
郁子さんから送られてきた作品を拝見、「ぬかるみに車輪とられて春半分」――この
句を目にしたとき、本にしなくてはと思い立ちました。≫
【太字はkaeru】
このタイトルであと一回「つぶやき」たいと思います。それは私と凛君のかさなる所に
ついて、一つは超低体重児であったこと、もう一つは俳句についてです。