■奥の細道の旅 (4/23日着信)
○現在地 倶利伽羅峠に到着しました。
○次の目的地 金沢
○次の目的地までの距離 45.9km
○次の目的地までの歩数 61,496歩で達成です。
また到着の知らせの着信を見落とすところでした。
「おくのおそ道」の「金沢の段」冒頭に
≪卯の花山 ・ 倶利伽羅が谷を越えて、金沢は七月中の五日なり。≫
とあります。七月中の五日とは、十五日のことです。
「おくのほそ道」文中には触れられていませんが、倶利伽羅が谷は倶利
伽羅峠の谷で、寿永二年(1183年)木曽義仲はここで平氏の軍七万と
対峙しこれを破ります。数百頭の牛の角に松明をつけ突進させ、この勝
利によって義仲は一気に京都へ攻め上るとことになります。
芭蕉は義仲びいきで、後に自分の墓を義仲の墓と並べてほしいとし、
大垣市の義仲寺境内で義仲の墓の近くに作られているそうです。
木曽義仲は長野県の歌「信濃の国」 のなかで 「朝日将軍義仲も」 と歌わ
れていますが、その義仲をなぜ芭蕉がひいきにしたのか興味のあるところ
です。