これは一昨日と同じ頁です。こちらの方が少しは鮮明ですので、再度載せ
ました。それは今日の「つぶやき」の内容に関係する俳句です。
この頁の四句には 「春」 という題がついています。
春の虫踏むなせっかく生きてきた
手の平に小さな命春の使者 (8歳)
捨てられし菜のはな瓶によみがえり
雪やなぎ祖母の胸にも散りにけり (9歳)
体重944グラムの超低体重で生まれた凛君は母親から「ふつうの赤ちゃんの半分も
なかったんだよ」と言われてきました。私は昭和12年の生まれで体重1500グラム、
当時では無事育つか?と危ぶまれ出産届けは20日以上遅く出されました。
まさにそれは「小さな命」であり「せっかく生きてきた」命でした。
昭和十二年当時の日本人の男子は戦場で「捨てられる」ことが予定されている命で、
凛君の場合は 「学校」 という場で 「捨てられた」 のです。捨てられた菜の花が瓶に
よみがえったように、凛君は母と祖母のもと俳句を杖として歩きだしています。私たち
と同年輩の少年・少女たちの命をよみがえられたものは、何でしょう。
それは、新しい日本国憲法とそれを理念とした教育にあったと思います。
この本に関心をもつ契機に9日の「俳人の忌日」があり、そこで野澤節子に関連して
古賀まり子の句を一句紹介しました。『鑑賞 女性俳句の世界』の第4巻は「境涯を超
えて」と題されていますが、そのなかの野澤節子の見出しは「ひとりの奈落」であり、
古賀まり子は「いのちの句境」です。各俳人に短い経歴が書かれていますが、野澤の
経歴に「病気療養中に『俳諧七部集』に興味を持ち、」とあり、古賀のそれには「結核
療養所の句会で俳句と出合い、」とあります。
同じように、俳人中山純子の見出しは「いのちの器」であり、解説のなかに≪十代
の終わりに発病した肺結核の療養生活のあいだに、俳句を作り始め……俳句を手応
えのある支えとして生きてゆく。生は句を生み育て、句が生を先に歩ませる、という向
日的な「句世一如」の世界である。≫
この「句世一如」は、同様な境遇にあった野澤、古賀にもいえる言葉であり、凛君の
姿にも通ずるものです、そして俳句に関心を持つ者としてこころしておく言葉だと思い
ます。