kaeruのつぶやき

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『ランドセル俳人の五・七・五』 -1-

2014-04-11 22:42:16 | kaeruの五七五

 『ランドセル俳人の五・七・五』 の「あとがきにかえて」の最後に2013年春

となっていて、奥付には2013年4月18日 初版第1刷となっています。手に

しているものは2014年3月4日第11刷です。

 私はこの本がかなりの勢いで広がっていることがうれしいのです。この一

年間、本屋の俳句関係の場所に平積みになっていたので、書名の「ランドセ

ル」が記憶にはあったのですが、多分何人かの小学生の詠んだ俳句をあつ

めたものかと、勝手に思い込んでいて手にも取らずにきていました。

 

 本の最初の方に2011年9月12日の朝日新聞(夕刊)の記事が載っていま

す。「10歳のいま刻む五七五」の大きい見出し、「幼稚園から句作・・昆虫・花

…リズムに乗せ」とあり、取材を受ける日の朝、記者にみせようとつくった句

 貝見れば海の思ひ出香り立つ  があります。

記事の最初は≪俳句人口の年齢層は広がりをみせているが、朝日俳壇で入選

を重ねる少年がいる。俳号は「小林凛(リン)」。幼稚園の時、一茶の句と出合った

のがきっかけだった。≫

≪大阪府岸和田市の小学4年生、小林凛くん(本名・西村凛太郎)、~凛くんは

944㌘で、月足らずで生まれた。医者からは「3日間は生死が分からない」と言わ

れた。~小学校に入学した凛くんは、よくつらい思いをした。~乱暴な同級生につ

ねられ、たたかれ、体はあざだれけ。(母)史さんは「学校へ行かんでいい」と言った。≫

 その辺のところを本のなかでお母さんは、

≪いじめから保護されぬ無法地帯から脱出した凛は生き生きしていた。

 これで良かったのだ。これしかなかったのだと思う一方で、しかし、私は義務教育

を受けさせられない息子のリスクを思うと、心穏やかではいられない。通期途中で

見かけるランドセルの子どもたちに、家で過ごす凛の姿を思い重ね、「張り切って不

登校」の思いが揺らぐこともあった。≫

 

 凛くんの祖母の郁子さんは、昨日紹介しました

 生まれしを幸かと聞かれ春の雨 

の一句ができた時のことをこう書かれています。

≪(幼稚園のころの凛くんの俳句づくりと近隣の人とのふれあいが書かれて)~この平

穏な日々は小学校入学と同時に一変した。凄まじい「いじめ」。非道な隠蔽に終始した

担任。「地獄」にせっせと孫を送っていた悔いは今も私をさいなむ。しかし、苦悩の末に

選んだ不登校の期間は、彼にとって格好の俳句多作季節となり、癒された。その俳句を

彼の成長の証として学校に持って行ったのに、一笑に付された時、「俳句しかないのに」

と私は奈落の底に落ちた思いだった。でも、同じ小学校の子のお母さんが「おばあちゃん、

違う! 俳句しかない、ではなく、俳句がある! なんや」と励ましてくれた。

 ある夜のこと。帰宅の遅い母親を待って針仕事をしていた時、横で彼が針箱の整理を

してくれていた。いじめられてもめったに言葉には出さずに、小さな胸で耐えていると思

うと不憫で、つい聞いたしまった。

 「凛、生まれて来て幸せ?」

 「変なこときくなあ。お母さんにも同じこと聞かれたよ」。そして、凛は沈黙の後、一句。

 「生まれしを幸かと聞かれ春の宵」

 早速、仕事中の母親にメールで送る。≫