葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

「長崎」のこと。

2014-08-09 15:01:52 | せいじの政治カフェ

 1945年8月9日、までは知っていましたが、午前11時02分というのは、いま

確かめて知ったことでした。 広島の「8時15分」は平和記念公園で黙祷を捧げ

たこともありますし、「死んだ女の子」の歌詞 ♪ 十年前の夏の朝 私は広島で

死んだ そのまま六つの女の子 いつまでたっても六つなの ♪ の時刻として

頭に刻み込まれています。

 それに比べ私のなかでは「長崎」は遠い、のでした。 その違いは?と考えたこ

ともありませんが、いい機会ですので考えてみます。 「広島」についてはやはり

「原爆反対」の視点が置かれています、それは運動のなかで自分でその地に

行ったことが大きいでしょう。

 長崎にも行っています、ただ観光地としてで、もちろん先ほどTVで見た「公園」

にも行きましたが、その時は絵はがき的一光景でした。

 

 実はこの「つぶやき」を書く前に、7日の「てんがらもん」での向井さんの話の内

容を確認しておこうと思ったのですが、PCがまた「非接続」ではない、接続して

いるのですが、画像が動かないという状態で確認できませんでした。

 記憶によりますが、向井さんの話で印象に残っているのは、順不同でいえば

「本当の原爆を知るために広島・長崎の原爆資料館に行って下さい」というこ

とです。自分の目で感覚で「事実」をとらえること、それが他人事でないものを

自分のなかにつくることになるということでしょう。

 そして、広島に落とされた原爆と長崎に落された原爆は違い、また双方の地

形の違いが被害の大小になったということでした。 それに加えると 「雲の切れ

めが命の切れ目」 ということです。69年前の11時頃、長崎上空に飛来した米

爆撃機は視界が雲に覆われ見えず、原子爆弾(プラトニュウム型・ファットマン)

の投下に適せず、もう一周してきたとき雲が切れていて、長崎の街見えた。

 そういう話でした。

 

 話は飛びますが、ある地域・地名と自分が結びつくうえで、そこに知人がいるか

どうかで、かなり違います。 沖縄の石垣島は娘の一家の住む所になるまで、私に

とってほとんで関係のない地名でした。

 「広島」については自分の経験に加えて、この間の「雲」さん、「ひげ爺さん」さん、

「マッピー」さんとのブログでの交流をつうじてさらに深く心に入り込みました。

「長崎」は6日の「kaeruのつぶやき」にいただいた「赤い風車」さんのコメントです。

そのお蔭で、「長崎」という地名を目や耳にしたとき、ひとりの人と結ぶつけること

が出来るようになりました。

コメント (3)
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